ひ と で な し の 恋
 交換条件だ、といって、返された自分の装備を慣れた手順で身につけていく。服だけはローレライ教団のものを一時的に拝借した。他に着るものがないからだ。
 その代わりに、諸々の事情でぼろぼろになったマルクトの軍服を脱いで、キムラスカの暗い海に捨てた。もう自分は、レガート・ミルテではいられない。
 けれども、それでもレプリカと、作り物と呼ばれるのには抵抗があった。縋れる名前はひとつしかない。
「レプリカルーク」
 着替える間、じっとこちらを見つめていた仮面の六神将が差し出したのは、手に馴染んだ大剣。
「俺は、レガートだ」



逆さまの地図、道分かたれて



 しとしとと降る霧雨が、じっとりと皮膚の表面を湿らせていく。額に張り付いた赤い髪が鬱陶しい。
 自分の背後にそびえるのはタルタロス、第二の故郷にも等しいあの国に属していた陸艦だが、今はその主を変え、異なる手によって、真逆の目的のために動かされている。
 バチカルに寄ると言ってシンクがつれてきたのは、ローレライ教団の導師イオンだった。何のために、と疑問が一瞬頭を掠める。しかし、無意味なことだと思って考えるのをやめた。どうせ自分には理解できないし、したくない。こんな考え方をしているとジェイドに怒られそうだな、とふと思った。
 イオンはレガートの顔を見て、大きく目を見開いた。
「あなたは…」
「何勝手に外に出てるんだい。あんたは中に居ろっていっただろ。うろうろされると迷惑なんだよ」
 割り込むように、シンクが鋭い声を発した。レガートはちらりとそちらを見て、それから黙って廃工場のほうへと歩みを進める。
「ちょっと」
 声と同時に突き出されたのは拳だった。軽く避けて、ぴたりと立ち止まる。
 置いてけぼりにされたイオンが、こちらの背中をじっと見つめていた。
「シンク、導師を」
 何があるのか察したのだろう、シンクは黙って導師イオンをタルタロスのほうへ誘導する。遠ざかる彼らを意識から締め出し、レガートはただ前を見つめた。
 ぎい、と錆びた音を立て、工場の重い扉が開く。
 まず目に付いたのは金髪だった。ザオ砂漠の砂の色に近い、淡い金色が、雨にけぶってさらに薄く見える。つづいて赤毛の男、金髪の女に黒髪の少女、薄い茶色の髪の女、そして最後に、濃い金髪の男が、最初の男に続いて出てきた。
 最初の男は、レガートの姿を確認すると、すぐにこちらに近寄ってこようとした。が、数歩で止まる。代わりに前に出たのは、濃い金髪の男。レガートの養父だった。
 彼はレガートとタルタロス、そして導師イオンを見比べると、普段浮かべている笑みを消し、硬い表情に変えた。
「派手な髪の色になりましたね、レガート。…これは一体、どういうことですか?」
 聞き慣れた声が冷たい。レガートは精一杯の虚勢で、無表情に答える。
「どうもこうも、見たままだ、ジェイド・カーティス」
 雨のせいで相手の表情がよく見えない。しかし、纏う空気の重さが、はるかに増したのが分かった。そのことに臆したわけでは決してないが、震える唇を開くのが、普段よりずっと酷く難しいことのように感じられる。
「アクゼリュスには行くな」
 その一言の効果は覿面だった。ジェイド一行の動揺が伝わる。同時に、何故こいつが自分たちの行き先を知っている、といわんばかりの、訝しむような視線を向けられた。
 動揺から最初に立ち直ったのは、やはりジェイド・カーティスだった。
「どうして、あなたがそれを?」
「あんたに言う必要はないだろ」
 ジェイドの赤い瞳が、暗い空の下で爛々と光る。まるで獣のように。
 そのあいだに、じり、と砂色の髪の男が動いたのを、レガートは見逃さなかった。視線で牽制しつつ、赤髪の男に告げる。
「ルーク・フォン・ファブレ。ヴァン謡将から聞いてるだろう。身代わりは既に動いている、お前の役目は他にあるはずだ」
「身代わり、だと?」
 ぎり、ときつい視線が、レガートを突き刺す。憎しみを研ぎ澄ましたそれを、振り払うようにレガートは告げた。
「ああ、そうだ。命を無駄にしたくなかったら、ここで引き返せ」
「…お断りだ、といったら?」
「聞くまでもねえだろ」
 言いながら鞘を払い、短刀を構えると、応じるように、すらり、とアッシュが剣を引き抜いた。同時に、ジェイド・カーティスの掌の中に長槍が出現する。それに合わせ、後ろの方にいる、話についていけていないらしい面々も、とまどいながらも各々の武器に手をかけ始めた。
「一対六。あなたに勝ち目はありませんよ、レガート」
 勝ち誇ったようなジェイドの嗤いが、妙に気に障った。
「もとより、真っ向勝負をする気なんかねぇよ!」
 叫び、真っ先に駆け出していた砂色の髪の男に、手の中にあった短刀を投げつけた。男はすんでの所で避けたが、その蒼い瞳は戸惑いに揺れていた。
「レガート!」
 タルタロスのほうから呼ぶ声、あれはシンクだ。レガートは隠しに手を突っ込み、最後とばかりに叫んだ。
「ジェイド・カーティス! 陛下に言っとけ、『レガート』は死んでも、二度と新しいものを飼う必要はないと!」
 前々から用意していた煙幕を投げつけると同時に、背中を向ける。そしてレガートは、戦艦のタラップに向けて駆け出した。
 うしろから追いすがる声が聞こえたが、もう聞く必要はなかった。

 レガートが中に入るなり、背後でドアが閉まった。膝が震え、力が抜けていったので、重力にしたがってその場にへたり込む。ドアの前で待ち構えていたシンクの足が目に映ったが、顔まで見上げる気力はなかった。
 しばらくそのままぼうっとしていると、やがて少年が口を開く気配がした。
「見事な裏切りっぷりじゃないか。『レガート・ミルテ』そのものだよ」
 いちいち返事をしてやる気にもなれず、ふいと顔を背けると、あざけるようなシンクの声が追ってくる。
「それとも、まさか胸が痛んだ? そりゃそうだよね、自分の育て親を裏切ったんだから」
「…それこそまさかだろ」
 うんざりして、そう言い捨てて立ち上がる。シンクの仮面の奥の瞳が、面白そうにこちらを観察しているのが分かるから、見下ろされるのは好きじゃない。好きじゃなくなった。
「それにむこうだってせいせいしてるさ。余計なお荷物が減ったんだからな」
「へえ。自覚はあったわけだ」
「うるせー」
 人の揚げ足を取るような物言いが何となくジェイドに似ているので、シンクは好きじゃない。なのにここ最近彼とばかり行動しているのは、単に相性の問題だろう。人間関係ではなく、戦闘の。
 人間性という意味では、ラルゴの方がよっぽどましだ。が、彼はジェイドに怪我をさせられて、命令を下されたときにはまだそれが完治していなかった。アリエッタはそもそも論外だ、会うと殺し合いという名の喧嘩にしかならない。
 そこまで思い至って、頭の中で訂正を入れた。相性などという複雑な問題ではなく、単純に不幸な状況のせいだ。
 考えながら歩いていると、なぜかシンクが後ろについてきていた。
「…何だよ」
「別に。僕はあんたの監視役でもあるから、任務を遂行してるだけだ」
 自分にあてがわれた部屋の前で立ち止まる。といってもどうせ、後ろにいるシンクとの相部屋だが。
 かすかに獣のにおいがして、うんざりしながら扉を開け、襲い掛かってきたライガの前足を軽く頭を下げてかわした。
「何すんだよ、根暗ッタ。いいかげんしつこいぞ」
 そういいながら顔を上げると、今にも泣きそうな顔をした、桃色の髪をした少女が、レガートを睨みつけていた。
「根暗ッタじゃないもん!」
「うっせーな、いちいちうじうじうじうじ泣くなよ鬱陶しい。そういうのを根暗っていうんだ」
   きつい口調で嫌味たっぷりに言ってやれば、アリエッタの顔はますます歪んだ。
「あの…」
 控えめに、しかし確かな意思を持って割り込んできたのは、アリエッタの魔物の影にいたイオンだった。ずい、とシンクはレガートを押しのけ、口を開く。
「…何であんたがここにいる?」
 シンクが常より鋭い口調で詰問すると、イオンは困ったように眉を寄せる。
「アリエッタに無理を言って、ここまでつれてきてもらいました。…確認したいことがあったので」
 シンクはアリエッタのほうを向き、職務怠慢だ、と呆れたように呟いた。アリエッタを責めないであげてください、とあわててイオンが言うと、シンクは大仰に溜息をついた。
「で、確認したいことって、何」
 疲れたような声音で、シンクが話を元に戻す。イオンはレガートの方に向き直った。
「…『レガート』のことです」
「俺がどうかしたか?」
 聞き返すと、イオンは哀しそうに、やはり、と呟いた。
「…あなたは、確かにレガート、なんですね?」
 その言い方で、何となく彼の言いたいことを理解し、レガートは頷いた。
「ああ。確かに、俺はレガート・ミルテだ。…そしてお察しの通り、ルーク・フォン・ファブレのレプリカだよ」
「…そう、だったんですか」
 俯くイオンから目を逸らすと、隣にいたシンクと何となく目があった。仮面の奥の緑の瞳が、今なら見えるような気がする。
 しばらくすると、イオンは再び真っ直ぐに顔を上げて、レガートの顔を見つめた。それに合わせてレガートもイオンの顔を見る。見透かすような目に居心地が悪くなり、レガートはすぐにまた顔を背けた。
「教えてください、レガート。どうしてあなたはこんなところに?」
 言外に、何故ジェイドを裏切ったのか、と聞かれている気がした。先ほどのジェイドの冷たい目を思い出し、身が竦む。
 あんな冷え切った視線を向けられたことなどなかった。当然のことだとはいえ、気持ちのいいものではない。
「…あんたには関係ないだろ?」
 八つ当たりじみた苛立ちを感じて、怯えを覆い隠すようにことさらに冷たい口調を装うと、イオンの眉が哀しそうに下がった。伏せた睫の下の緑色の瞳が揺れている。
「…そう、ですか」
 そのまま沈黙が降りる。それに耐え切れず、レガートは口早に告げた。
「俺、着替えてくる」
 わざと何でもないふりをして、イオンの隣を通り過ぎる。声をかけられることもなく安堵していると、ぼそりとアリエッタが囁いた。
「やっぱり、レガートなんて嫌い」
 自分の着替えを探りながら、レガートも投げやりに答えた。
「俺だってお前は嫌いだ」
 吐き捨てて、大股で出口に向かう。乱暴に扉を閉めて、適当な空き部屋を探した。
 今は誰にも会いたくない。

 もう誰にも会いたくない。


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2007/3/14 ジェイドとイオンとアリエッタとシンクとレガート(ルーク)

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