ひ と で な し の 恋

断罪者の憂鬱



 レガートはふと、野営地に戻りかけた足を止めた。
 かすかに鼻先に感じる違和感。どこかで嗅いだことのある異臭が、生温かい夜気にかすかに混じっている。
 その正体に気づき、レガートは眉を寄せた。そして、走り出す。野営地でもなく、しかし先ほどいた野原でもない方向へ。
 育て親は今は役に立たない。かといって野営地に戻れば、それは相手の思うつぼだ。何故ならそこには導師イオンがいる。
 獣特有のにおい、それはタルタロスを襲った六神将が一人、妖獣のアリエッタの操る魔物のものと同一だった。
 レガートは腰に佩いた剣をいつでも抜けるように、その柄に手をかける。軽くバックステップを踏むと、その一瞬後には、同じ場所に小さな、ほんの小さな輝きがあった。
 針のような形をしたそれがどこから放たれたのか。レガートは背後に気配を感じ、振り向きざまに一閃する。男の声で、ひっ、と引きつった悲鳴が聞こえた。
 振り向けばはたして、そこにいたのは昼間に会ったばかりの桃色の髪の少女、そして見覚えのない銀髪の、丸眼鏡をかけた男だった。ひょろっちい外見をしているが、まさか彼も六神将なのだろうか。
「…俺になんか用か?」
 自分でもわざとらしいと思いながら、レガートは笑顔を作ってみせた。ジェイドがそうしているように、余裕のある笑顔、とこころのなかで念じる。
 銀髪の男は、唇の片方だけを吊り上げる独特の笑い方をした。
「あなたには、私たちと一緒に来てもらいます」
「断るといったら?」
「あなたに拒否権はありませんよ」
 次の瞬間、ぴしゅ、と音を立てて、男の手元から何か細いものが発射された。レガートの首筋を掠めていったそれは、先ほど放たれた針と同じもののようだった。
 それを合図として、一体どこから沸いてきたのか、ライガたちが次々とレガート達の周囲に集まりだす。
 これだけの気配があって自分の育て親が気付かないということもないだろうと思うのだが、それほど離れてしまっていたのだろうか。
 レガートは腰に手をやり、そこに普段ならあったはずの短刀がないことに舌打ちした。あれがなければ譜術は使えない。
(…いや、ひとつだけ)
 掌の中にあるずっしりとした重みに意識をやり、レガートはみどりいろの瞳で、まっすぐに目の前の敵を見据えた。
 地面を蹴って走り出す。まずは小さな桃色の髪の少女を押さえるつもりだった。
 自分の主を守ろうと飛び出してくるライガを切り伏せながら、確実に距離を詰めていく。
 脅えたような表情をしていた少女の瞳が、ふとした瞬間にぎらりと燃えた。
「ママの仇…っ! ゆるさない、です!」
 言われたことの意味がわからず、レガートは眉を寄せる。その一瞬をついて放たれた針が、レガートの首筋の皮膚を貫いた。
「…っ!」
 ジンとした痛みが走る。急所には刺さらなかったようだが、しかし痛いものは痛い。
 レガートは躊躇いもなしに邪魔な針を引っこ抜いた。小さな傷が軍服の襟と擦れて、じりじりとした痛みがひろがる。
 防刃繊維である軍服の守る範囲のぎりぎり上に当たってしまうとは、何とも運の悪い。針を放った男は、何とも癪に障る高笑いをあげた。
「はーっはっは! この薔薇のディスト様にかかれば、たとえあのにっくきジェイドの養子であろうとも、その捕獲など赤子の手をひねるも同然! 大人しく観念しなさい、レガート・ミルテ――いえ、『レプリカルーク』!」
「何でお前がそれを…!」
 レガートは大きく目を見開いた。それはジェイドとピオニーしか、知らない筈のことだった。
 ディストとやらは、傲慢な笑顔で声で、さも取って置きの真実を明かすかのように、勿体つけてその答えを明かした。
「当然ですよ。この私が、あなたをつくったのですからね」
 レガートの背中に、大きな衝撃が加わった。受身も取れずに無様に地面に転がされ、レガートは呆然と、自分の目の前に立つ、大きな獣を見上げた。
 頭をぎりぎりと地面に押さえつけられ、口の中に砂利が入る。いつの間にか切れた口元から、唾液と血が混じったものが伝い出た。
「薬が効いてきたでしょう? あなたはもうじき、起きていることすらできなくなる――」
 得意そうにいった男を、その細い棒っきれのような身体を、ふっとばしてやりたいとレガートは切に願った。
「くれぐれもそれを壊さないようにしてくださいよ、アリエッタ。完全同位体ともなれば、調べたい事も山のようにあります」
 ふっとばすだけじゃ足りない。文字通り木の枝のように折り取って、暖炉の火の中に放り込んでやる。
「…何がおかしいんです?」
 不審そうにいわれてはじめて彼は、自分が笑っていることに気がついた。
 あらゆる毒を無効化する自分の身体に感謝しながら、レガート・ミルテは詠唱を始めた。
「その道を通りその道を出よ。その御手の指先に宿りし滅する光を我に貸し与えん」
 冷たい白光が、青年の痩躯から溢れ出る。
 レガートの緑の虹彩が、金色の光を帯びて輝く。
 そして青年は咆哮を上げた。
「ば、かな…! これは、一体」
 丸眼鏡の男が、驚愕の表情で、自分の体躯の二倍もある魔物を何でもないことのように振り落とし、すっくと立ち上がった青年を見つめた。
 高い悲鳴を上げて、周囲の状況を確認もせず、アリエッタが弾かれた魔物の元に駆け寄った。その無防備な首筋に剣の柄を叩き込み、レガートは少女を昏倒させる。
 レガート・ミルテは、『白の伯爵』は、その体の放つ光を反射して白く輝く剣を、高く天にかざした。柄の部分の装飾が、ぴしり、と嫌な音を立てる。
 真っ直ぐに向けられた翠金色の瞳に、ディストが僅かに後ずさる。それを許さぬように、レガートはその剣を、自分を生んだという男に向けた。

「力の差を思い知らせてやる――!」

 次の瞬間、雲ひとつない夜空から、青白く光る雷が地に墜とされた。



2006/8/27 レガート(ルーク)VSディスト・アリエッタ&ライガ





贖罪者の嘆息



 誰もいなくなった夜の草原に、ジェイドは一人たたずんでいた。と言ってもただぼうっと突っ立っていたわけではない。
 彼は、妙な胸騒ぎのようなものを感じていた。
 勘だの何だのと言ったものは基本的に信じない性質ではあったが、しかしこの、何ともいえない、本能的に嫌な感じが、ねっとりとまとわりついてはなれない。
 早めに野営地に戻った方がいいかもしれない。そう思って踵を返した途端、ざわり、と大気の音素が震えたのがわかった。
 野営地の方角ではない。しかし、そう遠い場所でもなさそうだった。
 一度確認してみるべきかもしれない、とそちらに足を向け、そしてジェイドは大きく眼を瞠った。

 よく晴れた空から、青白い雷が、その方角に墜落してきたのだ。

 ジェイドは迷わずにその場所に向かって駆け出した。予測が正しければ、かなりまずい事態になっている。
 その途中で、赤い髪の青年と茶色の髪の少女、それに緑色の髪の導師と合流した。彼らもまた同様に、この異変を感じ取ったようだった。
「大佐!」
 こちらに駆け寄ってくる若者達の表情には、一様に不審が混じっている。
「どうしたんですか、あの雷は一体…?!」
「私にもわかりません。ですが、」
 そこでジェイドは言葉を切った。まだこれは憶測の域を出ない。
「…いえ。確かめてみるしかありませんね」
「私達も行きます!」
「足手まといはいりません…と言いたいところなのですが。…止めても聞きそうにありませんねえ」
 ジェイドはため息をつくふりをしながら、不覚にも冷静さを失いかけた頭を冷やした。
「おい、あいつは――レガートとやらは、一緒じゃないのか?」
 アッシュが抜け目なくそう聞いてくる。そういえば、といったティアたちの視線が、こちらに向けられた。
 嫌な予感がさらに強まる。
「彼は先に野営地に帰ったはずですよ。…まさかまだ、戻っていないのですか」
 沈黙が答えだった。ジェイドの嫌な予感は、早々にも的中しそうだ。
「…こうしていても埒があきません。行きましょう」
 はやる心を抑えながら、ジェイドは周囲に注意を張り巡らす。
 やがて少し進んだ先に、大きなクレーターが出来ているのが見えた。
「昼間にここを通ったときには、こんなものなかったはずだわ…」
 淵の部分を検分するように確かめながら、ティアが呟いた。
 ジェイドは、そうですね、と返事を返しながら、夜闇にまぎれてしまいやすい黒の髪を捜した。
 まさか、といやしかし、を心の中で繰り返していると、ふと金色の光が目に留まる。
 あれは、とその正体に気づくと同時に、別の方角を探索していたらしい紅い髪の青年もまた、それに気付いたらしかった。
「こいつは…!」
「どうかしたの、アッシュ」
 ティアがすぐさまそれに反応する。導師イオンもそれにならい、そしてジェイドは遠巻きにそれを見つめた。
 クレーターよりも少しはなれたところに、砂色の金髪を短く刈った青年の姿があった。
 先ほど別れたばかりの青年が、なぜこんなところにいるのだろうか。答えはひとつしかなかった。
 ティアの譜術で癒された青年が目を覚ますなり、他の面々を制してジェイドは真っ先に聞いた。
「彼はどうなりましたか」
 その言葉に、しばらく青年は視線を彷徨わせ、そして答えた。
「…間に合わなかった」
 青年、ガイラルディア・ガラン・ガルディオスは、ゆるくかぶりを振った。
「あいつは六神将の死神ディストに連れて行かれた。追いかけようと思ったところで、アリエッタの魔物に不意打ちされてこのザマだ」
 ジェイドは、深く息を吐き出した。よりによってあのディストとは、何とも因縁がかっている相手だ。
 アッシュが眉を寄せ、不愉快そうに吐き捨てる。
「おいジェイド。お前こいつと知り合いなのか」
「ええ、まあそんなところです」
 曖昧にそう答えると、アッシュはますます不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。
「間に合わなかった、とは…どういうことですか? まさかレガートに何か…?」
 イオンが心配そうに、そうガイに問う。ガイは、ああ、と頷いた。
「あいつは浚われたんだよ。六神将に」
 その返答に、ティアとイオンが、不思議そうな顔をする。
「イオン様ならわかるけれど、どうして彼が…?」
「何か重要な機密を、守っていたんでしょうか?」
 もっともな疑問に、ジェイドとガイはそろって微妙な表情をした。アッシュもうっすらわかっているからか、その眉間の皺は相変わらず深い。
 レガート・ミルテは、その存在そのものが国家機密なのだ。キムラスカ王家に連なるファブレ公爵家の最後の一人、ルーク・フォン・ファブレのレプリカ。
 しかしそのことをわざわざ説明してやるほど、ジェイドはおしゃべりではなかった。
「…彼のことを心配してくださるのはありがたいですが、今は親書のほうが優先です」
 その一言に、一斉に非難の眼が向けられた。けれどジェイドはそれをあっさりと受け流す。
「わかっていらっしゃらないようですが。彼は一介の軍人で、わざわざ戦争回避の親書を後回しにしてまで、探すべき相手ではありません」
「…けれどジェイド。六神将に浚われたということは、彼は僕達のとばっちりを受けただけ、とも考えられませんか?」
 イオンの言葉に、ジェイドは曖昧な笑顔を返す。
「それならそれで向こうから、何かしらの行動があるはずです。人質はただ取るだけでは意味がありませんから」
「マルクトの重要機密を持っている、とすれば?」
「もう少し前ならともかく、今のこの微妙な時期に、陛下が彼にそんな重要な任務を与えるとは思えません。彼はまだ軍人としては、甚だ未熟です」
 その言葉に、若者達も渋々ながら引き下がった。物わかりの良い相手で助かる、と内心で思いながら、ジェイドは先ほどから何かを思案しているらしい、金髪の青年に視線をやった。
「それで、ガイ。あなたはこの後どうしますか」
「ああ。…それなんだが」
 ガイはしばらく迷うように、視線を彷徨わせる。ジェイドはちらりと赤い髪の青年のほうを見やった。アッシュはガイの方を見るのも嫌だとばかりにあらぬ方向を見つめているが、それがかえってガイのことを意識しているというのが、知る者にとっては明白だった。
「俺もあんたたちに同行してもいいか? 今のあいつの手がかりに一番近そうなのは、どう考えてもあんたらだ。何ていったって、当の六神将に狙われてるんだからな」
「なっ…!」
 その言葉にアッシュが弾かれたようにガイの方を見た。といっても、内心驚いたのはジェイドも一緒だ。
「俺は貴様などと行動するのは死んでも御免だ!」
 アッシュの射殺さんばかりの苛烈な視線に、ガイの冷たい視線が応じる。
「俺だってお前なんかと一緒に行動するのは死んでも嫌だが、あいつを探すにはこれが一番手っ取り早そうなんだから仕方ないだろう」
 心配しなくたってあいつが見つかったら離れてやるよと付け加え、ガイはアッシュから顔を背けた。彼は彼でアッシュが死ぬほど嫌いらしい。まあそれも当然か。
 任務に影響が出ない限り同行者の間柄がたとえどれほど険悪だろうとジェイドは気にしないが、しかしお互い敵同士とあってはその保証はない。
 だが、深刻な戦力不足もまた事実だった。
 結局、こうなるしかないのだ。そこに『ルーク』が関わる限り、彼は必ず追ってくる。ならば今は味方にしたほうが得策だと、ジェイドは判断した。
「…まあ、いいでしょう。ただし条件があります」
 くつり、とガイが口の端を持ち上げる。顔色を変えたのはアッシュだった。
「本気か?!」
 アッシュは信じられないといわんばかりの表情で、ジェイドを睨みつける。ジェイドはそれを気にせずに、成り行きが読めずに半ば呆然としていたティアとイオンに、少し離れた場所に行くように頼むと、その意を正確に汲み取った彼女達は、近すぎず、しかし離れすぎていない程度の木陰に近寄り、明けはじめた空にため息をついた。
「…それで、何だ?」
 二人の背中を見送ったガイは、心底面倒くさそうな表情でジェイドに尋ねた。ジェイドはいつもの笑顔を浮かべて、条件を提示する。
「任務が終わるまでは決して同行者に危害を加えないこと。いいですね?」
「ああ、わかった」
 頷いたガイとは対照的に、アッシュが今にも爆発しそうに毛を逆立てて、ジェイドに噛み付いてきた。
「てめえはこいつの正体知っててそういうことを言ってるのか?!」
 ジェイドはその質問に、にっこりと微笑んで頷いた。
「ええ、知っていますよ。知っていて、それでも信用しているからこそ、自分の養子の傍においているんです」
 アッシュは一瞬きょとんとして、それからみるみるうちに目を吊り上げた。
「…貴様…っ!」
「ああ、アッシュ。勿論わかっていると思いますが、」
 ジェイドはつかつかとアッシュの元に近寄った。そして彼にだけ聞こえるように小さく囁く。
「ガイがあなたを殺さないのは、レガートがいるからです。…できればくれぐれも、ガイの正体が何であるかは、内密にしていただきたいものですね」
「…では、やはりレガートは、」
「あなたの予想通りだと思いますよ。…つまり、そういうことです」
 ジェイドはその場から離れた。言外に含ませた幾つの意味に、彼は気付いたことだろうか。
 やがてアッシュが、心底憎憎しげな口調でこう吐き捨てた。

「…テメェ、いつかぶっ殺す」

 さて、それを言われるのも、人生で何回目でしょうかねえ。
 呟いて、死霊使いはうっすらと笑った。


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2006/8/27 ジェイドVSアッシュVSガイ 別名険悪トリオ

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