ふたつの剣
これはまずい事態になった。ジェイドは舌打ちをしたい気分になった。
まさか六神将がこれほどまでに早く動くとは。計算外だった。
(…いや、想定の範囲内、か?)
導師守護役の少女と別れ、『骸狩り』を発動させてタルタロスの動きを一時的に停止した。これから向こうに捕らわれているだろう導師イオンを救出し、なおかつここを脱出せねばならない。
この艦は完全に制圧された。おそらく乗っていた他の人間は、皆殺しになっただろうから、助ける必要が無いのが救いといえば救いだろうか。しかしジェイドの身体には封印術がかけられており、動きが制限されている。他の二人の同行者が戦闘慣れしているということが、これほどまでに有難いとは思わなかった。
ジェイドは苦々しい気持ちを噛み殺し、ちらりと自分の前を走る青年に視線をやった。ある意味見慣れた顔立ちは、しかし自分の知っているものとはやはり決定的に何かが違う。
次期ファブレ公爵にして、六神将がひとり――ルーク・フォン・ファブレ、またの名を鮮血のアッシュ。
彼が他の六神将を裏切っているという話はかつて聞いたことが無かったが、しかしこの状況からすれば、つい先ほど立てたばかりのその推測はあながち間違いでもなさそうだ。
ジェイドは艦の外の様子を窺った。六神将の一人らしき女が、導師イオンを連れているのが見えた。これから向こうの先手を打たなければならない。
アッシュの手の中で小さな煌きが踊る。小さく呟かれるのは歌のような詠唱。その速さに内心舌を巻く。
非常用のハッチが開いたと同時に、アッシュの譜術が発動し、目の前に立っていた神託の盾兵の体が焼けた。苦悶の声を発して階段から転がり落ちたその屍を超え、ジェイドが投擲した槍が飛んでいく。
狙った先の女はそれをうまく避けたが、しかしその次の瞬間、後ろに回りこんだジェイドの突きつけた刃に、動きを止めた。
「流石死霊使い殿、か。封印術を使ってもそれだけ動けるとは、全くたいしたものだ」
「お褒めに預かり光栄です、とでも答えておきましょうか。さあ、武器を捨ててもらいましょう」
女はしばらく目を伏せ、そして両手から構えていた譜銃を放した。重い音を立てて地面に落ちたそれを踏みつけ、ジェイドはもうひとりの同行者に声をかけた。
「ティア、譜歌を――」
頷きかけた少女はしかし、瞳を大きく見開いた。
「リグレット教官?!」
「ティア? ティア・グランツか」
その一瞬の隙が命取りだったらしい。ジェイドは得体の知れない気配が辺りを取り囲むのを感じた。
タルタロスのタラップから、桃色の髪をした少女が降りてくる。拘束していた女が暴れ、ジェイドはそれを解放した。
「よくやった、アリエッタ。艦内の状況は」
「…非常停止装置が、作動して。この子達が壁を裂いて、通れるようにしてくれたの」
じり、と魔物たちが包囲の網を狭めてくる。視界の端で捕らえたルークは魔物の足にその身を押さえられて苦々しい表情を曝し、ティアはティアで同じように壁に身体を押さえつけられていた。
銃を拾った女が、ぴくり、と反応する。空気が変わったのは次の瞬間だった。
爆発音と共に、魔物の包囲網の一部が破られた。咄嗟の反応が遅れた女の背後から、導師イオンを抱えて走ってくる影が見えた。
「動くな!」
マルクト軍服を着た黒髪の青年が、剣を片手に叫ぶ。その腰にはあと二本、短刀が下がっている。少し目の良い人間なら、そのうちの一本の柄が、赤い輝きを宿していたのに気付いたかもしれない。
ジェイドはにたりと口の端を吊り上げた。その腕の中に、桃色の髪の少女を捕らえながら。
青年は六神将を牽制しながら、イオンの身体を下ろす。
「そのまま艦に戻ってもらおうか」
しばし睨み合いが続く。
先に折れたのは、六神将の女の方だった。彼女は静かに背を向け、タルタロスの中に消えた。
残された少女が、イオン様、と小さく呟く。
「言うことを聞いてください、アリエッタ」
「…イオン様…」
イオンの言葉に、切なげな表情をして、少女はタルタロスの中へ戻っていった。周囲を包囲していた魔物の気配も消え、ジェイドは僅かに緊張を解く。
それから、乱入してきた青年の方に視線をやった。彼は剣を鞘に収めないまま、言った。
「とりあえずここを離れましょう。話は後で、いくらでもできますから」
ジェイドはちらりと、赤い髪の青年に視線をやった。彼は訝しげな表情をして、謎の乱入者の背中を見つめている。
何とも都合のいい偶然。それとも、それこそ運命とでもいうのだろうか。ジェイドは小さく嘆息した。
近くの適当な場所を野営地に決め、ジェイドたちはそこに集まることにした。
アニスの行方についての話から始まり、次の目的地、そして現在の状況へと話が移る。
「…というかそもそも、あなたは誰なのかしら? マルクトの軍人みたいだというのはわかるのだけど…」
その言葉で、その場の視線が、黒髪の青年に集まった。
タルタロスの乗組員ではなさそうね、と言った少女に、青年はああ、と頷く。
「そういえば、自己紹介をしてませんでしたね。マルクト帝国軍フリングス隊所属、レガート・ミルテです」
彼は緑色の瞳を優しげにゆがめた。その揚げ足を取るように、ジェイドが続ける。
「兼、皇帝陛下直属の小間使いでもありますね。自己紹介は正しくするべきですよ、ミルテ少尉?」
いやみったらしく語尾を上げたジェイドに、レガートは嫌そうな顔をした。
「…小間使いって、そりゃあない、でしょう…」
どこと無く拗ねたような口調のレガートに、ジェイドはうっすら笑って見せる。
「似たようなものでしょう。…しかし、あなたが私に敬語を使っているというのは、実に不自然すぎて気持ち悪いですね」
「そりゃ悪かったですねー大佐殿。なら普段と同じように話すけど、それでいちいち嫌味言うのはやめてくれよ」
「そうですねえ。あなたは普段どおりに話すと途端に品性がなくなりますから、それはどうにかしてくださいね。…ああ、元々無いのに、無理を言うなと? これは失礼」
くつりとジェイドは笑って見せ、そして目の前で他の同行者達がきょとんとした表情で自分達を見つめているのに気がついた。
「随分と仲が良いんですね」
ほわんと微笑んで言ったのは導師だった。
「…そうか?」
「おや、嫌そうな顔ですね。仮にも育て親に向かってそれは無いでしょう?」
その言葉に、ジェイドとレガート以外の面々は驚きを隠さなかった。
「育て親…?」
「死霊使いが?」
そう声を上げたのはティアとアッシュだった。二人とも、そんな馬鹿な、という顔をして、ジェイドとレガートを見比べている。
失礼ですねーとジェイドは笑って見せたが、仕方ないとも思っていた。ジェイドがレガート――レプリカルークを拾ったのは、多分一生に一度の壮絶な気の迷いだとは、誰よりも彼自身が常々思っていることであったからだ。
ばつの悪そうな顔をした二人の間で、ああ、とひとりだけ、妙に納得したように頷いたのは、導師イオンだった。
「…そういえば前に聞いたことがあります。死霊使いの養い子にして、皇帝の影の指先――白の伯爵」
レガートはちょっと驚いたような顔をして、イオンを見つめた。
「俺、そんな有名だったのか?」
「伯爵…ってことは、貴族なの?」
彼の呟きにかぶさって発せられたティアの質問に、レガートはかぶりを振る。
「俺は親も何も無い、ただの孤児です。ミルテという家名も、ジェイドに拾われたときに陛下に賜ったものですし」
「…そうだったの。その、…ごめんなさい。無神経なことを聞いて」
「いえ」
レガートはちらりとジェイドを見た。
「昔ケテルブルクという街で流行った児童書の登場人物に、俺と同じ名前のやつがいるんです。そいつの二つ名が白の伯爵だから、俺もそう呼ばれているんですよ」
苦笑混じりにレガートは言った。ぽかんとした表情を浮かべる若者三人を見て、ジェイドは自らの主君のネーミングセンスはやはり奇抜なのだと再確認した。
「これがまた凄い悪役らしくて、ただでさえジェイドの養子ってだけで敬遠されるのに、名前を聞くとそれだけで引く人も何人もいる位で。ケテルブルクの出身者だけじゃないみたいですから、結構有名な本なんでしょうね、あれは」
はははと乾いた笑いを漏らすレガートに、ティアとアッシュの同情の視線が寄せられる。少なくとも彼らの中でのマルクト皇帝のイメージは、今のでかなりおかしな方向に歪んだことは間違いない。
「ところで」
「ん?」
レガートの瞳がジェイドのほうに向けられる。ジェイドはそれに笑顔を返した。
「そこにいるのはなんですか?」
「なにって…ああ、これか」
ミュウ、と呼びかけると、ぴょこん、とレガートの頭の上に、青色の生き物が飛び乗る。
ティアがかわいい、と呟くのを聞きながら、ジェイドは尋ねた。
「…それは、魔物ですか? 何故こんなところに…」
「ミュウはご主人様についてきたですの! ご主人様に命を救われたですの!」
レガートは、あーもーてめー頭に乗るんじゃねえ! と言って、小さなチーグルを引き剥がした。ころんと転げる青いかたまりに、ティアがうっとりと見惚れている。
「チーグルだよ。チーグルの森で拾ったんだ」
「ローレライ教団の聖獣ですか…。喋れるとは知りませんでした」
感慨深げに言うイオンに、ジェイドが相槌を打つ。
「ユリアは彼らから第七音素の操り方を習ったと聞きます。話すことが出来てもおかしくはないでしょう」
はたりと何かに気付いたように口を開いたのは、それまでだんまりを決め込んでいたアッシュだった。
「チーグルの森…ひょっとして、エンゲーブでの食料盗難騒ぎを解決したって言うマルクト兵はお前か?」
アッシュの問いに、レガートはちょっと驚いたような顔をして、まあそんなところです、と頷いた。
「たったひとりでライガクイーンを倒したらしいな」
その言葉に、レガートははぐらかすような薄い笑みを浮かべた。
「運がよかっただけです」
「それでも十分凄いですよ、レガート。先ほども思いましたが、やはり強いんですね」
イオンが真っ直ぐにレガートを賞賛した。レガートは照れくさそうに、いえ、と顔を逸らした。
「どうでしょう大佐、彼についてきてもらうというのは? 戦力は多いことに越したことは無いですし」
ジェイドは、そう提案したティアの方を見て、曖昧な返事をする。
「…彼は私の指揮系統下にはありませんので、私の独断では何とも」
自然といっせいに視線を向けられたレガートは、心底すまなさそうな表情になった。
「…すみませんが俺はお断りします」
その返答に、アッシュの視線がやや険を帯びる。
「エンゲーブを助ける暇はあるのに、俺たちを手伝う暇はないってか。随分とお忙しいことで」
「アッシュ! 何もそんな言い方しなくても…」
ティアの非難するような声に、アッシュが視線を逸らす。レガートは困ったように眉を寄せた。
「俺の言い方が悪かったですね。…俺は今回、ジェイドの任務に関わることを、皇帝自ら禁じられてるんですよ」
「皇帝が自ら? 何故だ?」
「知りませんよ、俺に聞かれたって」
そういって、レガートはうつむいた。ジェイドは肩をすくめる。
「たぶんあのひとのことですから、自分のおもちゃがいなくなるのが面白くなかったんでしょう。…では詮索はここまでにして、今後の方針を立てましょうか」
「待て」
それを留めたのはアッシュだった。アッシュはレガートをきつく睨みすえて言った。
「お前、もしかしてキムラスカの出身じゃないのか? その発音、俺には覚えがある」
ジェイドはレガートにちらりと視線をやった。レガートは俯いたまま、さあ、と返す。
「さあ、とはどういうことだ。…まさか、お前」
「彼には生まれてから数年分の記憶がないんです。…幼い頃、家族を亡くした事件のせいでね」
ジェイドは強引にアッシュの台詞に割って入った。アッシュはジェイドに鋭い視線を投げつけたが、しかしその場は引き下がった。
気まずい空気が流れるが、助けられた形になったレガートはどこかほっとしたように言った。
「俺は周囲の見回りに行ってきます。…ジェイド、後でちょっと話がある」
そういって立ちかけたレガートに、おい、とアッシュがさらに声をかけた。
「…まだ何かあるんですか」
いささかうんざりしたようなレガートの返答に、アッシュは答えた。
「俺にも敬語は使わなくていい。…さっきは、悪かった」
レガートはきょとんとして、しばらくまじまじとアッシュの顔を見つめた。ぶっきらぼうにそっぽを向いたアッシュに、ふと表情を緩める。
「…それ、言う順番逆だろ」
そして彼は松明を持ち、夜闇に消えていった。
野営地から少し離れた場所に、彼はいた。
ジェイドはそのやけに小さく見える背中に声をかける。
「こんなところでぼさっとしていたら、格好の魔物の餌食になりますよ」
「…うるせーな。…あいつらは眠ったのか? 見張りは?」
「ええ。まあ、二人とも軍人ですし、この辺りの魔物はそれほど強くないですから、多少離れても心配は不要でしょう」
そーか、と独り言のように呟いたレガートの隣に立ち、ジェイドは言った。
夜半の空には淡く月が輝く。蒼褪めたその光は、青年の表情を、その二つ名の通りに白く染めていた。
「…あれが、オリジナルルーク」
かすかな呟きに、ジェイドは口端をゆるく上げる。
「あなたもポーカーフェイスがうまくなったものですねえ」
レガートは揶揄めいたその言葉に、しかし自嘲らしきものを浮かべた。
「いや。…多分あれは、気付かれてるんだろうな、と思う」
「おや、何故です?」
「…あいつ、ずっと俺の一挙一動を観察してた。ジェイドだって気付いてたろ?」
「そうですねえ。強烈な一目惚れ、とも考えられませんか?」
レガートはあっけにとられたような顔をして、それから不機嫌そうに眉を寄せた。
「そういう冗談言うのやめろよな」
それきり黙りこんでしまった彼に、ジェイドは尋ねた。
「…憎いですか?」
レガートは――レプリカルークは、俯いたままかぶりを振った。
「あなたはあの日彼の代わりに、殺されていたかもしれないんですよ」
「それ、どこまで本気で言ってるんだ」
ルークの翠の瞳が、真っ直ぐにジェイドを映す。
「まさか俺が、あの時お前が言った大嘘、今でも信じてると思ってるわけじゃないだろう?」
「おやおや、馬鹿だ馬鹿だと思っていたんですが。流石に見抜かれてしまいましたか」
皮肉な笑みを浮かべるジェイドを半眼で見つめ、ルークはため息混じりに言った。
「ったく、ほんとお前やなやつだな。…けど、ジェイド」
「何でしょう?」
「それでも、お前が言ったことは全部嘘ってわけじゃないのかもしれない…近頃、視線を感じるんだ」
ジェイドは黙って先を促した。ルークはぼそり、と、ほとんど聞こえないくらいの声で言った。
「…今までの、じゃない。どこのやつらかはわからないけど…なあジェイド、もしかしたら」
「ルーク」
ジェイドはルークの言葉を遮った。彼らしくない優しさでルークの黒い髪を撫でて、囁く。
「もう、眠りなさい」
レプリカルークは、しばらく逡巡するようなそぶりをして、大人しくこくりと頷いた。
しかしすぐには戻らず、腰に差した二本の短刀をベルトから外し、ジェイドに差し出す。
「…ルーク?」
「俺はレガートだ」
ルークは緑色の瞳を、真っ直ぐにジェイドに向けた。
「封印術が解けるまで、これを貸しておいてやるよ。ちょっとぐらいの役にはたつだろ」
「しかし」
「俺にはこれ一本があれば十分だ。譜術が無くたって戦える」
ルークはそう言って、腰に横向きに佩いた剣を示した。
「あなたも狙われているかもしれませんよ」
「大丈夫だって。俺、後はグランコクマに帰るだけだし。敵国にひとりで乗り込むジェイドよりかは安全だって」
「…そこまでいうなら、有難くお借りしておきましょう」
ジェイドが短刀を受け取ると、ルーク――レガートは、満足そうに頷いた。
「じゃあ、またあとで」
野営地に戻って行く青年の気配が完全になくなったのを確認して、ジェイドはその場所から動かずに、もうひとりに声をかけた。
「そこにいるんでしょう。出てきたらどうですか」
ざわざわと夜風が薄い草むらを揺らす。ジェイドはもう一度、繰り返した。
ルークに対してかけたものとは全く異なる、冷たい声音で。
「出てきなさい、ガイラルディア。それともまた以前のように、譜術でその身を灼かれたいのですか?」
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2006/7/29 ジェイルク?