青年の言ったとおり、マルクト軍とキムラスカ軍はあっさりと海賊を撃退してしまった。もとよりマルクトとキムラスカの双方から散々弱らされていたので、当然と言えば当然の結果なのだろう。
甲板に出ることを許されたルークは、いつの間にか集まっていたマルクト・キムラスカ両軍の艦を見ながら、うわほんとだったんだ、と感動を覚えていた。因みに彼女の隣ではガイが目を輝かせている。つくづく譜業機関に目のない男であった。
やがて、キムラスカ側の船に、遠目にもわかる鮮やかな色をした髪の人物がいるのを見つけて、彼女は驚きを露にした。
「…アッシュ?!」
彼は長い髪を風に遊ばせ、ルークたちの乗っているほうの船を見ていた。
「なんであいつがこんなところに…」
「それだけじゃないぞ」
そう言ってガイが、空のある一点を示す。ルークがその方向を見ると、見慣れたフォルムの機体が、空中で停止していた。
ルークは唖然として、そして叫ぶ。
「あっ、アルビオール?!」
「カーティス大佐が乗ってきたものらしいですね。あの上から海賊船を、譜術で航行不能になさったようです」
青年の入れた補足説明に、はあ、と二人はため息をついた。
「…あ、りえねえ。あいつ何やってるんだ」
ルークの呆れたような言葉に、ガイは口元を引きつらせながら同意する。
「…無茶苦茶だな」
やはり体調不良がたたって奇行が目立つようになったというのは嘘ではないらしい、と彼は心の中で失礼なことを呟いた。
アルビオールはだんだんルークたちの乗っている船まで近寄ってくる。
「…まさかいくらなんでもあそこから降ってきたりはしないよな、ガイじゃあるまいし」
口元を引きつらせながら言ったルークの言葉を、さすがにそんな訳ないだろ、とガイが笑う。だが今のジェイドなら何だってやりそうだ、と、口にはしないものの二人とも思っていたのだった。
そんな二人の心配をよそに、アルビオールはしばらく空中を旋回した後、静かに着水した。
「降ってはこなかったけど、こっちには来るつもりみたいだな」
「…何も海の上じゃなくても、近くの港に行きゃいいのに」
「何か理由があるんだろう、多分」
「キムラスカ側からも、アッシュ殿下がこちらにいらっしゃるそうです」
マジかよ、というルークの言葉に、ガイは苦笑した。そしてすぐ、考え込むようなそぶりを見せる。
「…つまり、海の上でもないと出来ないような話をするつもりってことか?」
ガイの静かな呟きは、生憎ルークには聞こえなかった。
「は? 結婚? はあああ?!」
ルークは素っ頓狂な声を上げた。その横では、ガイも同じくらいに顔を引きつらせて、信じられないと言う感情を前面に出している。
ジェイドの副官であり、かつ代理の指揮官であった青年――実は既に青年と呼べる年齢ではなかったが――は、本来の指揮官ことジェイド・カーティスの到着後、簡単な報告だけを済ませて他の場所の調整に行ってしまった。おそらくあらかじめそうするように命令がされていたのだろう。
ピオニーが張った策に見事に乗せられてしまったジェイドは心中穏やかではなかったが、しかたないと諦めていた。ひとえにいつものことだからだ。
そしてアッシュからもたらされた情報は、その場の空気を凍らせるに相応しいものだった。
曰く。ルーク・フォン・ファブレ(レプリカ)の、マルクトへの嫁入り話である。因みにこの場合、相手はピオニーではない。
「何考えてんだ、父上も陛下も!」
頭を抱えるルークに、ガイがまあ落ち着けよ、と笑う。
「何もジェイドじゃなくてもいいんだろ? 『両国の平和のため』ならさ」
そう、相手は歩く人でなしこと、ジェイド・カーティスなのだった。
ルークのあまりのジェイドへの懐きぶりに(一部誤解もあるようだが)、公爵夫妻が国王と共に考え出した奇策である。それを聞いて、キムラスカはよほど暇らしい、とジェイドなどは思ってしまうのだが、アッシュの手前彼は一応それは言わないでおいた。
当人も喜ぶだろうという彼らなりのやや希望的観測かつ的外れでもない気遣いでもあったのだが、それは現在順調にルークを煮やす薪となっていた。
「待て、ガイ! 違うだろ! 俺の婚約に対して突っ込むところだろコレ! 相手じゃないだろ!」
錯乱しかけたルークを宥めるかと思いきや、ガイはにやりと口の端を吊り上げる。
「へえ? ルークはジェイドと結婚したいのか?」
ルークは一瞬あっけにとられたような顔をして、それからぼっと音がしそうなほどに、顔を真っ赤に染めた。
「そんなこと言ってねーって! じゃなくて! 何でそんな話になってんだわけわかんねえ!」
それを聞いて、アッシュが嫌そうに口を開く。
「…縁談がな」
「…あ?」
「ファブレ家に持ち込まれるようになったんだ。俺がナタリアと正式に婚約して…次期国王になるのが決定してからな」
「アッシュにか?!」
頓狂なルークの言葉に、アッシュの見かけによらず割と単純な精神は、他者と比べてもとりわけ低い沸点を、あっというまに通り過ぎた。
「馬鹿かお前は! 今の話の流れでどうしてそうなる! お前のにきまっているだろう!」
怒鳴るアッシュに、ルークが怪訝そうな顔をする。
「はあ? だって俺、レプリカだぞ?」
「お前はまだそんな卑屈なこと言っているのか!」
「卑屈って言うか、単に事実だろ。お前まだ変なところでこだわるのなー…」
ふるふると拳を握るアッシュに、ルークは困ったようにジェイドに視線で助けを求めた。
自分でそのくらい何とかしてくださいよと思いつつも、ジェイドはアッシュの入れ損ねた補足を入れる。
「まあ、あなたがレプリカだろうと、ファブレ公爵が子供と認めている以上あなたは公爵家の人間ですからね。次期国王との繋がりを欲しがる人間はいくらでもいるでしょう」
「なんだよそれ…」
「それが貴族ってもんだよ、ルーク」
貴族院でさんざ揉まれたガイが、達観した笑みでそんなことを言った。その言葉に、ルークの目は静かに据わる。
「…俺は家出する!」
「それは今の状況とどう違うんですか」
ジェイドの静かな突っ込みに、ルークはほとんど涙目で怒鳴り返した。
「なら、どうしろってんだよ! ジェイドはそれでいいのかよ?!」
「私はどちらでも構いません。…あなた次第、ですよ」
ジェイドが笑ったのも刹那、次に口を開いたのはガイだった。
「…そうだな。ならいっそ、俺と結婚でもしてみるか?」
爽やかな笑顔で言ってのけたガイを、ルークは信じられないものを見るような目でまじまじと見つめた。
「…ガイ。お前、わかってるんだろうな? 俺、今は女だぞ?」
「そうだな、男と結婚は出来ないからな。もっとも俺はお前が男だろうが女だろうが全然関係ないがね」
はたから聞いていれば突っ込みどころ満載な台詞だが、ルークはそれに気付かずさらに動転した。
「そうじゃなくて! お前、俺と一緒に暮らすってことだぞ?!」
「おいおい。十年前からずっとそうだったろ、今更遠慮することがあるか?」
「ああもう…っ」
頭を抱えるルークを見ながら、ガイは先ほどの口調とは裏腹に、真摯な表情で続ける。
「女性恐怖症くらいどうってことないさ、俺はずっとお前の味方って言ったろう。…俺の傍にいてくれないか、ルーク」
ガイの真っ青な瞳が、ルークを真っ直ぐに見つめた。ルークが逃げるように目を逸らすと、ジェイドと目がかち合う。
驚くほど無表情の彼に、ルークは反射的に呟いていた。
「…駄目だ」
「ルーク?」
「駄目なんだ、ガイ」
ルークはガイの方に視線を戻し、静かにかぶりを振った。
「…俺じゃ役不足、か」
自嘲するようなガイの言葉に、しかしルークは何も返すことが出来なかった。
「…ごめん」
「謝るなよ、ルーク。お前が悪いんじゃない」
ガイはそういって笑いながら、そっとルークの頬を撫でた。
ルークはその手を掴み、じっとガイを見つめる。
「ガイ、ちょっとかがんで」
「ん?」
「いいから」
ルークはガイの頭を抱き寄せると、その額に唇を近づけた。
人の肌のやわらかな感触が、ルークの唇に触れる。
「…ルーク」
離れていった体温に、ガイはちょっと驚いたように目の前の女の子を見つめた。まじまじと見つめられて、ルークは困ったように笑う。
「結婚は出来ないけど。…ガイはずっと、俺の大切な人だ。それじゃあ、駄目か?」
ガイは、くしゃりと泣きそうに顔をゆがめた。
「…仕方ないな。…仕方ないから、ずっと、お前の親友でいてやるよ」
そんな二人の麗しいやり取りの横で、隣から発生するブリザードに人知れず鳥肌を立てていたアッシュは、重く重くため息をついた。
「…先を越されて悔しいならさっさと落とせばよかったんだ。一ヶ月も一緒に暮らしてたんだろうが」
的確な突っ込みに冷たい一瞥をくれてから、ジェイドは優雅に微笑んだ。
「いえいえ。留学の形をとっている以上、下手に手を出したら国際問題ですから」
「…お前がいちいちそんなことを気にする男には見えんがな」
「おや、心外ですね」
大仰に肩をすくめて見せる男に、アッシュは気にせず鋭い一瞥を送る。
「お前らほんとにさっさとくっつけ。こっちが迷惑なんだ」
「前は随分反対していたのに、今度は賛成派ですか。それに相手の気持ちもわからないのに手を出すほど、私は落ちぶれてはいないつもりですが」
「お前それは本気かそれともわかってて言ってるのか、どっちだ」
アッシュの呆れ半分、苛立ち半分の台詞に、ジェイドは喰えない微笑で返す。
「さて、どっちでしょうねえ」
はあ、と珍しく肩を落とすアッシュに、どうかしましたか、とジェイドは相変わらずの笑顔で問いかけた。
「…お前と会話すると疲れる」
「酷いですねえ。あなたもルークほどとは言いませんが、可愛げと言うものがあった方がいいんじゃないですか」
「煩い。第一貴様に対してそんなもんは必要ないだろうが」
「もっともです」
アッシュは本気でジェイドと会話をするのをやめようと考えた。そうして、はたと気付く。
「…貴様、まさか、あいつが自覚するのを待っているのか?」
アッシュの問いを、しかしジェイドは柔らかな微笑で否定した。
「いいえ。彼女はとっくに、自覚していますよ」
その返答に、アッシュの表情に嫌悪感じみたものが混じる。
「そこまで知ってて、手のひらの上に落ちてくるのを待ってやがるのか。…ルークもつくづく男の趣味が悪いな」
そう言い捨てていく男の背中に、ジェイドは勝手なものだと苦笑した。
「何とでも言えばいい。どちらにしろ私は彼女が、私の傍で生きていてくれさえすればいいのだから」
だからジェイドは、その後ルークが言った台詞にも、眉一つ動かさなかった。
「しばらく時間をくれないか。…少し一人で、考えたいんだ」
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2006/4/16 ジェイドとルークとアッシュとガイ
「英知とは、完璧の一歩手前でとどまるタイミングを知っていることである」
(ハロウィッツの法則)