Case 1 マルクト国軍大佐と皇帝陛下
ジェイドの執務室に飛び込んできた伝令の兵が伝えたのは、ルークたちの乗っている船が海賊に襲われたという情報だった。
あの辺りの航路には最近海賊が出る。ここ最近ジェイドが忙しかったのも、元はといえばそれが原因だった。
度重なる粛清で大分数は削ったはずだが、補佐官のうち数人がまだその討伐に当たっていたはずだ。
兵を下がらせ、ジェイドはピオニーに向き直る。
「…という訳で、私も行かなければならなくなりました」
「みたいだな。だが、今から行って追いつけるのか?」
無言のジェイドに、ピオニーはにやりと口の端を持ち上げた。
「ルークについていかなくて良かったな、ジェイド」
その台詞に、ジェイドの刺し殺しそうな視線がピオニーに向けられる。
ピオニーは読めない笑みを浮かべながら、ちょっと外に出てみろよ、とドアを示した。
「…何をたくらんでいるんです?」
「いいから行けって。ルークを助けたくないのか?」
ジェイドは少し怪訝そうな顔をして、それからため息をついた。
「何か仕組みましたね?」
「残念ながら、海賊の方は多分本当になるぞ。早く行ってこい」
「…つくづくあなたという人は。国際問題すれすれですよ、これは」
ジェイドの呆れたような言葉に、ピオニーはしかし胸を張る。
「何を言う。非常に合理的だろうが」
「…帰ってきたら覚悟しておいてくださいね」
冷たい微笑と共にジェイドは執務室を早足で出て行き、ピオニーはそれを見送って密かに笑った。何だかんだいって、ルークのところに飛んで行きたいと背中に書いてあるじゃないか、と。これなら彼の心配はする必要がなさそうだ。
あとは彼の副官が、どれだけ命令を忠実に遂行できるか、だが。
「…ルークのことだから、うっかりのしちまうかもしれねえなあ…」
殺しはしないだろうから多分大丈夫だろうが、と呟き、彼は宮殿へと繋がる隠し通路に、するりとその身を滑り込ませた。
Case 2 親友兼従者
ガイがその現場に到着したとき、そこに広がっていたのは、まさしく惨状と言って差し支えない光景だった。
木と鉄で出来たデッキの床はあちこち破損しており、すぐ傍には一人の男が倒れていた。
傍にはルークのナイフが落ちていたが、別に殺したわけではなさそうだ。
静かに眠っている男をとりあえずその辺にあったロープで縛り上げておき、ガイはため息をついた。
頬を叩いても肩を揺すっても、しばらく気がつきそうにもない。だからといって相手が目覚めるまで、甲板でぼうっと待っている間に見つかっても厄介だ。
聞き出すのは別の奴にしようとガイは決め、甲板から引き返す。
「一体どうなってるんだ…」
ガイ自身も先ほど、機関室から自室に戻りかけたところで、別の男達に襲われたばかりだ。何とか撃退はしたものの、どうにもおかしい。
というのも、妙に相手が手馴れていたからだ。少し危険な相手かもしれないと思って、ルークを探しにきたのだ。
騒ぎのあるほうにルークがいるという経験則は間違っていなかったが、しかし少し遅かったのかもしれない。
ガイがそんなことを思っていた時、ふと目に鮮やかな朱が映り、危うく声をかけそうになる。しかし、その後ろをすぐ別の男達が追いかけて走っていった。
彼はあわてて壁に隠れて船内を走り抜けていく足音をやり過ごし、その後姿を見送ってしまう。
(…行ったか)
しかしこれはかなりまずい事になったぞ、とガイは心の中で一人ごちた。
先ほどの暁色の長い髪は間違えようもない幼馴染のものだ。そして今の男達は間違いなく彼女を追っていた。
助けるには少し距離が遠すぎたが、すれ違った顔色を見るに、もうそろそろ限界が近そうだ。
彼らがルークに何か危害を与えるつもりなら、急いで彼女を助けなければならない。
足音を追っていけば彼らがどちらにいったかわかるだろう。後は、どうやって彼女を助けるか、だが。
どうもあちこち、引っかかることが多すぎる。
ガイは、しばらく悩んだ後、おもむろににやりと笑みを浮かべた。
(アレを使える、かもしれない)
そして彼は走り出した。先ほど自分が出て行った場所へ向かって。
Case 3 暁の姫君
自分を襲ってきた青年達を昏倒させて、ルークは走っていた。
女性になってしまったからだろう、身体の構造が違うせいで思ったよりもてこずったが、それでも百戦錬磨の彼女の技術に敵うものではない。
ずっと前線で戦ってきたのだから、あれくらいで負けるわけがない。片方の男にナイフを突き立てて、そのまま逃げてきたのだが、手ごたえが妙だった。
おそらく下に編み鎖でも着ていたのだろう。そのぐらい硬かった。倒れてくれたのが不思議だが、案外細い神経の奴だったのかもしれない。
しかし、先ほどからずっと走り通しなのに、後ろから追ってくる複数の足音は絶えず、僅かな休息すらも許さないようだ。
どうすればいいかもわからずただがむしゃらに走っていたが、そろそろ体力の限界である。二年もずっと寝ていた上に一ヶ月以上引きこもっていたルークの身体は、すっかり衰えてしまったらしい。
ルークは何とかしてこの現状を打開するべく、必死に考えていた。敵の人数によっては一人で何とかできなくもないだろうが、そのためには戦う場所がいる。
数で劣る分、狭ければ狭いほど不利だ。だが、自分はこの船のつくりをあまり良く知らない。
(ジェイドならどうする?)
思い浮かんだのは、冷静を絵に描いたような男の姿だった。
彼ならどうするだろう。八方塞がり、としか言えない状況の中で。
ジェイドなら。
「…わかるかんなもん」
ルークの低い呟きに、ミュウが首をかしげる。彼女は何でもねえよ、と言った。
走るペースを上げつつ、彼女はやっと周囲に目を向け、そして隠れられる場所を探し始めた。
視界の端に、やや扉の開いた暗い部屋が映る。背後を確認すれば、少しは男達を引き離したらしい、その影も見えない。
ルークは進路とは違うの方向の通路に、持っていたナイフの鞘を投げてわざと音を立てて、飛び込んだ船倉らしき部屋で、大きな荷物の裏に隠れた。
「ったく、しつこいしうじゃうじゃうぜーし、最悪だ」
肩で息をしながら悪態をついて、そのままその場にうずくまる。震える膝のあまりの情けなさに、ああ俺今最悪にみっともねーと頭を抱えたくなった。
足音が船倉の手前で通り過ぎていくのを、身を硬くしながらやり過ごす。どうやらうまく騙せたようだ。
ルークは先ほど無駄な体力を使ったことを心底後悔した。
待ち伏せして、技術に物を言わせて相手をなぎ倒してしまおうと思ったのだが、予想以上に敵が多かったのだ。
船内のほとんどすべての人間が敵だったんじゃないかと思えるくらい次から次に現れて、とりあえずミュウファイアで相手を牽制しながらここまで逃げてきたのだが。
「見つかるのも時間の問題だしな…」
ルークが焦燥のあまりに、歯を食いしばったその時だった。
突然、船内に耳障りな雑音が走った。
「な、何だ?」
ノイズはすぐに収まり、そして次の瞬間、人の声が流れ出した。
「ルークに告ぐ。今すぐ抵抗をやめて出てこい。でなければ、お前の友人の命は保障しない」
それは先ほど、ルークが昏倒させたはずの青年の声だった。
「…っくそ!」
繰り返し告ぐ、と流れるその言葉を遮るように、ルークは乱暴に倉庫のドアを開けた。
「俺はここだ! …ッ、これで満足だろ!」
ルークは言い様に、先ほど自分が走ってきた方の廊下を睨みつけた。たった一人、男がそこに立っている。
にこり、と青年が、薄っぺらく笑った。
「素直な方で助かりますよ」
青年の嘘くさい笑みが誰かに似ている、そのことがかなり心に引っかかっていたが、それよりも今は気になることがあった。
「ガイは無事なんだろうな?!」
ルークが噛み付くと、青年ははじめて笑みに苦いものを滲ませる。
「無事ですよ。あなたが暴れなければ、ですが」
どこかで聞いたような言い回しだが、そんなことに構っている暇は無い。
「大人しく同行していただけますか、レディ?」
ルークは答えずに、目の前の青年を睨みつけた。やはり見覚えがある気がするその顔に浮かぶ薄笑いを、何とかして剥いでやりたい。
「…レディって呼ぶのやめろ。気持ち悪い」
精一杯の反抗に、しかし相手は微笑んだだけだ。
「かしこまりました」
大仰に礼をしてみせる、その仕草すら様になっている。
下げられた頭のその金髪に、ルークは見覚えがあった。
「…あ」
ルークは軽く口を開けて、それからみるみるうちにその表情を怒りに染めていった。
「お前は…!」
男はにっこりと笑って、思い出しましたか、と飄々と言ってのける。
「あなたの大切な大佐殿の副官を勤めさせていただいております。思い出していただけて光栄ですよ」
ルークはぎろりと目の前の男を睨んだが、彼はそれを意にも介さずルークに手を伸べた。
「信じていただけないかもしれませんが、一応害意はないつもりです。…大人しくついてきて下さいね」
そういって強引にルークの手を取ったが、彼女はその手を振り払った。
「触るな! 一人で歩ける!」
「逃げないと言う保障は?」
「今更そんなことするかよ!」
棘のあるルークの言葉に、青年は苦笑した。
「…それじゃあ仕方ありませんね。参りましょうか」
自分の前を歩き出した男の背中を、ルークは思い切り睨みつけたのだった。
男はルークをある部屋の前に連れて行くと、そのドアをノックした。
機関室、とプレートのかけられたその部屋に、ルークは眉を寄せる。
「…騙しやがったな」
「さて、何のことでしょう」
「ジェイドの口真似なんかするなよ。気持ち悪い」
ルークが睨みながらそういえば、青年は楽しそうに笑っていった。
「仕方ないでしょう。そういう命令なんです」
どういうことだ、とルークが聞き返す前に、そのドアが開いた。
そこで現れた人物に、ルークは目を丸くした。
「…ガイ?」
「遅かったな、ルーク。…って何だ、余計なのまでついてきてるのか」
ガイは眉を寄せて、青年からルークを強引に奪い取った。男は対して抵抗もせず、ルークから手を離す。
「…まさか先ほどの放送は」
「変声機って知ってるか? 小さなおもちゃみたいなんだけど、あれでなかなか使える。うまく騙されてくれて助かったよ」
「んなっ…本気で心配したのに」
ぶすくれるルークの頭を撫でて、ガイは不敵な笑顔で続けた。
「悪いが、この部屋は占拠させてもらった。中にいた連中は隣の倉庫に放り込んであるから心配するな」
「…なるほど。あなたを計算に入れるのを忘れていたようです」
男の声が、少し困惑したようなものに変わる。
「そうみたいだな。それじゃまず、どうしてマルクトの軍人がこんなことに手を貸してるのかってあたりから説明してもらおうか」
ガイの海色の瞳が、青年を鋭く睨みすえた。表情は笑っていても、かえってそれが更なる凄みを与えている。
ジェイド・カーティスの副官で、現在海賊討伐のために出張中ということになっていた青年は、その金髪をやわらかく揺らして、困ったように微笑んだ。
「ガイも知ってたのか?!」
驚いたルークに、ガイはちょっと違うなあ、と返す。
「きちんとした知り合いじゃないんだがな。仮にもグランコクマに住んでるんだし、すれ違ってもおかしくないだろ」
「…だからか」
「それに、ただの海賊や、ましてや一般人があんなに統制の取れた動きが取れるとは思えないし、ここまで見事にこれだけ大きさがあるの船舶が乗っ取られるのもおかしいだろう。…どうしても答えないって言うなら、身分に物を言わせてもいいんだぞ?」
ファブレ子爵の友人にして、皇帝の信頼も篤いガルディオス伯爵の言葉に、青年はため息をついた。
「…その通りです。ついでに言えば私だけでなく、この船の乗客はほとんどがマルクトの軍人ですよ」
「ほとんどが? 仮にもキムラスカの街に行く船舶に、か?」
「もっともな質問ですね。ここ最近、この航路に海賊が出るのをご存知ですか?」
青年の言葉に、ルークとガイは顔を見合わせた。
「…まさか、お前がそれの正体、とか?」
やや引きつった声のルークの質問に、青年は嫌そうな顔をした。
「違います! 私たちは、その討伐をキムラスカ軍と共同で行うことになっているんです」
「…へえ。そいつは初耳」
ガイが真っ青な瞳を丸くして、まじまじと目の前の男を見つめた。
「初の共同作業か。合同演習をしてるって言うのは何回か聞いてるが」
「これは皇帝陛下とファブレ公爵の間で決定された、極秘の任務ですから」
「…父上が?」
ルークが怪訝そうな顔をした。あれだけマルクト嫌いのファブレ公爵が、とその顔には書いてある。
「何でわざわざ極秘なんだ? マルクトとキムラスカの友好を示すために、とかいって公表しても良さそうなものなのに」
ルークが首をかしげると、言い辛そうに青年が答えた。
「…この船はおとりですから、万が一にも作戦が知られるわけには行かなかったもので」
「は?」
ルークとガイの声が見事に重なった。
「ですから、この船は海賊をおびき出すおとりの船舶なんです。今は定期船として使っているとはいえ、もともとブランシェットは軍事用に開発された船ですから、多少の砲撃でも耐えられるようなつくりになっているんですよ」
「道理で機関部が妙にごてごてしてたわけだ…」
納得したようにガイは呟いた。
「…ちょっと待て」
一人で頷いているガイを押しのけ、ルークは青年に詰め寄った。
「…おとりってことは。…さっきの煙はまさか」
「ああ、安心してください。砲撃なんかではありませんよ。あれは船が故障したように見せかけるための演出です」
「演出って、ことはまさか、ここはもう海賊の出る海域なのか…?」
「そうなりますね」
「そうなりますねって、何でお前そんなに落ち着いてるんだ!」
「まあまあ、お前こそ落ち着けよルーク。そんなにうまく海賊がのるとも限らないし」
ガイがそう言った途端、船体に衝撃が走った。
敵襲のアラートが船内に鳴り響いた。
「…乗ったな」
「乗りましたね」
まるで世間話でもするかのような二人の態度に、ルークは思わず叫んだ。
「落ち着いてる場合かよ! 応戦しないと!」
「大丈夫ですよ。キムラスカ軍が援護してくれることになっていますし、こちらの船も動きます。そう遠くないうちに、向こうの方が制圧されますよ」
悠長に構える男に、ルークは不安そうな表情を向ける。
「いや、でもさっきのって向こうの砲撃じゃないのか?」
「本当に当たってたらこのくらいの衝撃じゃすまない。多分ただの牽制だな、海賊である以上向こうもいきなりこっちを沈める気はないだろう。軍に何か勝算があるなら、それに賭けよう」
ガイの言葉に、ルークはそれでも不安そうな表情を隠さない。
「大丈夫だ、ルーク。おとりとして使わせる予定の、軍人ばかりの船に、俺たちを乗せたのは誰だ?」
ガイが言いながら口角を上げると、ルークは翠の瞳を見開く。
「皇帝陛下とファブレ公爵が関係してるんだ。何か考えがあるはずだ」
だろう? とガイが同意を求めると、青年は頷いた。
「…ええ。あなた方は少なくとも、確実にお守りいたします」
その言葉にルークははっとして、青年の顔をまじまじと見つめた。
「…もしかしてあんたたちが俺を誘拐しようとしたって言うのは」
青年は黙って頷いた。ルークはばつの悪そうな顔で、青年に謝罪した。
「ごめんな。思い切り殴っちまって」
「いえ」
青年はかぶりを振り、そして言った。
「あなたを一般人の女性と同じに見ていたのが私の間違いでした。こちらこそ数々の無礼、どうかお許しください」
「いや、いいよ。…だけど、どうするんだ? こんなところでぼうっとしてていいのか?」
「大丈夫です。私はただの指揮官代理ですから」
「は?」
ルークが怪訝そうな顔で訊き返すが、彼は静かな笑顔を浮かべて、こう言っただけだった。
「本物の指揮官は、そろそろ到着なさっている頃ですよ」
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2006/4/15 ルークとガイとジェイドとピオニー
「たいていの場合、巻き込まれるのは抜け出すより容易だ」
(アレンの法則)