マルクト帝国皇帝ピオニー九世は嘆息した。その端整な容貌は、既に四十路にさしかかろうとしている男のものとは思えないほどに若々しい。
女なら、いや男でも放っておかないであろうその美しい憂い顔を、非常に胡散臭い微笑で一人の男が見上げた。彼は深く付き合いのある知人であれば判別できる程度に、嫌そうな雰囲気を漂わせて、書類を繰る手を止めた。
「どうなさいました陛下。ついにあの大量に増えすぎてどうしようもないブウサギを処分する気にでもなりましたか」
手に持ったペンを指先でくるくる回しながら、凄まじい笑顔でありえない事を問う男に、ピオニーはさらに深くため息をつく。
「お前、やつあたりはやめろやつあたりは。民から苦情まで出てるんだぞ」
「おや何のことでしょう。さっぱり心当たりがありませんが」
「無自覚ならさらにたちが悪いな」
蒼い瞳を半眼に、ピオニーはわざとらしく額を押さえ、頭が痛いとジェスチュアをしてみせる。ジェイドはそれを笑顔でかわし、遠回しな反撃に出た。
「陛下。頭痛薬ならそこに、私がこの間開発した新しいのがあるのですがいかがでしょう」
「遠慮しておく。しかし俺にまであたるとは落ちたなジェイド」
「陛下が訳の解らない事を突然言い出すからでしょう。まあいつものことですが」
「お前なあ。俺はいつも理に適っていることを言っているだろうが」
「それは意外ですね。私はいつも驚かされてばかりのような気がしていましたが」
「お前の修行が足りないだけだろう、いやそれはともかく。こんなことを話しに来たんじゃないぞ俺は」
いつの間にか意図的にずらされた論点を強引に引き戻すのは骨が折れる。
特に皇帝の親友と呼ばれる性悪軍人相手では、それこそ皇帝本人でもない限り不可能の域に近い。
ジェイドはわざとらしくため息をついて見せた。どこまでも話を逸らすつもりらしい。ただそれに乗ってやるほど、ピオニーは優しくはないが。
「陛下の暇つぶしならその辺のメイドなりブウサギなりでも十分でしょう。私は忙しいんです」
「そうかそうか。お前の機嫌が凄まじく、ただ道を通っただけで赤子やら幼児やらが泣き出すほど悪いのは、とどのつまり忙しさのためだけだな?」
「…何が言いたいんですか」
「自分でもわかってるだろう」
あえて疑問形でなく断定口調で、ピオニーは告げた。その声には若干の揶揄と同情と、そして呆れが含まれている。
「お前、ルークに置いてかれたのが悔しいんだろ」
ぴしり、とジェイドの手の中でペンが悲鳴をあげた。ピオニーはそれを意にも介さず、だから休みやると言ったのに、と肩をすくめる。
「今でさえこれほど仕事が山積みなのに、さらに溜めろと言うんですか。流石の私も怒りますよ」
「でも無理じゃねえだろ」
「私だって一応人間ですから限界ぐらいあるんですがねえ」
「お前の理性の崩壊に比べたらずっとマシだろうが」
「そんなこと心配してくださらなくても、どこかの皇帝陛下に比べたら私はうんと正常ですよ」
「…常々言おうと思っていたんだが、お前不敬罪って知ってるか?」
「ええもちろんですとも。意図的に無視しているだけです」
紅い瞳と蒼い瞳が空中で睨みあう。いつものことと言えばいつものことなのだが、他のものに知れたら大事になりそうな会話であった。
やがてピオニーはニイ、と口の端を吊り上げる。ジェイドが訝しげな顔をする間もなく、ピオニーは地雷を踏みつけた。
「ガイラルディアの報告が待ち遠しいな。三日ごとっつったのにまだ来ないが」
「あっちは海の上でしょう。連絡が来るまでに三日、少なくともこちらに着くまでには六日はかかりますよ」
睨みあいを先に打ち切ったのはジェイドのほうだった。彼は手元の報告書に視線を落とすと、再び凄まじい速度で書類を処理し始める。
ピオニーはニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべたまま、ジェイドの逃避行動に追い討ちをかけた。
「あいつの女性恐怖症も、ルークのおかげか、かなりマシになっているみたいだからな。この調子だと、あの二人がくっつくのも時間の問題」
「陛下? それ以上無駄話をなさるつもりなら、陛下の可愛がっているブウサギを一頭ずつ屠殺して、夕食のメニューに並べて差し上げますが?」
ピオニーの言葉を遮り、顔を上げないままで淡々と言ってのけたジェイドは、しかしその実かなり苛立っているようで、ピオニーはつくづく恋って人を変えるのだなあと感動を覚えていた。ついでに、最近の親友の二つ名の変化も思い出す。その原因と言うか理由となった、現在は諸事情により女性となっている、ある青年の姿が彼の脳裏に浮かんだ。
外見の変動は胸部だけなので(下は流石のピオニーも確かめていない)、帰ってきた彼女に会った時は、ぱっと見には大して変わったような気もしなかった。しかし、おどおどと下を向いていた以前とは随分と雰囲気が変わっており、ピオニー自身もかなり驚かされたものだ。もっとも、それは嬉しい驚きではあったけれど。
彼女こと、ルーク・フォン・ファブレの帰還は、絶望的だといわれていたことだった。ピオニー自身も、エルドラントから戻ってきたメンバーの中に、ルークの姿だけが無かったときに全てを悟ったのだ。
その名の本来の持ち主(彼の場合はそういっていいのかはわからないが、この場合どちらでも同じだろう。オリジナルも同時に消えたわけだから)、それを失ったブウサギの数が増えたわけだと、心の中で苦笑したのは、つい二年ほど前のことだ。
あの戦いは、キムラスカの二つの焔が失われることにより終止符が打たれた。後の歴史書にも、そう記されるはずだった。
けれど、彼の仲間達は、彼の帰還を信じ続けていた。…たった一人を除いて。
その例外のたったひとりというのが、今、目の前で凄まじい仏頂面(普段と比べて、だが)をさらしている男だ。
この二年間、ピオニーは、素直にガイたちの主張を信じるということが出来ずにいた。ジェイドの時折見せた、何かを諦めたような笑顔が、ピオニーの中では「ルーク」の死と直結していたからだ。
それでもどこかで、願うようにそれを信じていたかったのは、ピオニー自身もかの焔に、もう一度戻ってきて欲しかったからかもしれない。
もう一度あの焔と話したかったというのもあるし、彼の親友が緩やかに、心の時を止めるのを見たくなかったからと言うのもある。
それだけ大きな意味を、ジェイドに対して、あの焔は持っていた。本人に自覚があったかはともかく、ジェイドは間違いなくルークに触れて変わった。
人間になった死霊使い。それが、今のジェイドに対して周囲がつけた二つ名だ。それを初めて聞いたときピオニーは、それを教えた従者に向けて、全くもって失礼で、かつ的を得ている、と笑ったものだ。
そして時を経て、ルークは戻ってきた。…若干、身体の方が面白いことになってはいたものの、それはかえって歓迎すべきことなのだろう。
本人にとっては不本意かもしれないが、少なくともピオニーにとって、それは実に喜ばしいことだった。二重の意味を持って。
「気になるんだろう?」
重ねてそう聞けば、ジェイドは諦めたようにため息をついた。
「…まあ、気にならないと言えば、嘘になりますね」
ピオニーは、それ見たことかと得意げな笑みを浮かべた。ジェイドが苦々しい顔をしているのは、もちろん見ないふりで。
事の始まりは、一週間前のことだった。
「…お前、やつれたな」
「陛下に言われるようでは私も終わりですねえ」
ピオニーの驚いたような、呆れたような声音に、そう軽口を返してみせるジェイドの目の下にはくっきりと隈が浮き出ていた。
「やっぱり流石のお前も寄る年波には勝てないのか」
しみじみとそう言ってのけたピオニーを、ジェイドはぎろりと睨みつける。それを見てピオニーはさらに驚いた。かなりストレスが溜まっているらしい。
「どこかの皇帝陛下のおかげで仕事が山積みなんです。ついでに言えば、あなたも私と同い年であると言うこともお忘れなく」
その一言で、ピオニーは彼の機嫌が悪い大体の理由を察知して、口元をつりあげた。
何笑ってるんですか気持ち悪い、と冷たい視線を向けられ、ピオニーは酷い言い草だなと苦笑する。
「お前の仕事が多いのはいつものことだろうよ」
「そうですねえ、今のように邪魔さえ入らなければさっくり片付くんですけど」
「おいおい。それだけじゃないだろ。尋常じゃないぞ、その隈は」
「私だって人間ですから疲れが溜まれば隈くらいできますよ」
「そうは言ってもな。お前がそんな顔だと、下士官が不安がるだろうが」
「かえって喜ぶ人たちも多いと思いますがねえ」
この場所がジェイドの執務室でさえなければ、こんなあけっぴろげな会話は出来なかっただろう。
ぽんぽんと飛び交う悪口の応酬は、彼らが気心の知れた、互いの手札を知り尽くしている関係だからこそ出来ることだ。
部下なり上司なりがこの状況を敏感に察知して仕事を楽にしてくれたらいいんですけどねえなどと、おおよそ普段の彼らしくないことを呟く親友は、相当煮詰まっているようだとピオニーは思った。
「誰もお前の体調が悪いせいだなんて思ってる奴はいないだろうよ。ただでさえ死霊術師なんて不名誉な二つ名持ってるんだから、不安の理由だってわかりそうなもんだがな」
「おや。人を化け物か何かのように言うとは酷いですね」
「似たようなもんだろうが。…で?」
「はい?」
ジェイドが笑顔で、手元の視線に目を落とした。しらっぱくれるつもりだなこの野郎、とピオニーは心の中で毒づく。
「あいつがなにかやらかしたんだろ?」
さらに言い募れば、さて、あいつとは? と、ジェイドは十代前半の少女がやったなら大層可愛らしいあろう仕草で首をかしげた。
だが残念ながら彼はもうすぐ四十にも手が届こうと言う大の男である。可愛いどころか気持ち悪いぞ、とピオニーは小さく呟いた。
「はぐらかすなよ。ルークのことに決まってるだろう」
ピオニーが肩をすくめれば、やれやれといった風にジェイドが苦笑する。
「彼が何かやらかすのはいつものことじゃありませんか」
「にしたって、いつもはそんな隈つけてこないだろうが。大体、軍務どころかあの旅の途中ですら、顔見るたびにぴんぴんしてやがったくせに」
「体調管理は軍人の基本ですから」
にっこり微笑んでみせるジェイドに、ピオニーは呆れたような視線を返す。
「じゃあその隈は一体どう理由つけるつもりだお前は」
「いえ、少々睡眠不足なだけですよ」
「言ってること矛盾してるだろうが。その睡眠不足の理由が気になるんだよ、俺は」
「研究のしすぎです」
「何の」
「それは秘密です」
にっこり、という擬態語が実に良く似合う笑顔を向けられ、ピオニーは白い目を己の親友に向けた。
「人に言えないような研究してるのかお前は。いや確かにしてそうだが」
「用がそれだけならとっとと宮殿に帰ってください。今頃従者が泣いてますよ」
「いんや、あいつらはもうとっくに諦めてるな」
「諦めさせるほど頻繁に軍本部に来ないでください」
「何を言う。俺がつまらんじゃないか」
「つまらなくて結構。あなたは暇でもこっちは仕事しているんですから」
「あーはいはい。で?」
「はい?」
「あらかた、ルークが裸で屋敷内を歩き回りでもしてたんだろ?」
「…いくらルークが精神年齢十歳で馬鹿でもそこまではしませんよ」
「そこまで、か。ってことは、それに近いことはしてるんだな」
黙りこんだ親友に、ピオニーは意地悪く笑う。
「なあジェイド」
「何ですか」
「お前今度ルーク連れて、宮殿に泊まりに来い」
「お断りします」
すげないジェイドの返事と共に、部屋の扉がノックされる。
どうぞというジェイドの返答のあと、入ってきたのはもう一人の当事者であった。
扉をするりと潜り抜けたルークの視線が、ある一点で止まる。長く伸びた赤い髪が、頭の後ろで尻尾のように揺れた。
「あ、やっぱりここにいた」
「おうルーク。ちょうどお前の話をしてたところだ」
「へ?」
ルークが首をかしげる。彼女の外見は既に十代前半のそれではないが、その仕草は不思議と似合って見えた。
「どうしたんですか、ルーク。あなたが軍本部まで来るとは珍しいですね」
突然柔らかさを含み始めたジェイドの声に、素直だなあとピオニーは心の中で感嘆した。
ルークは、ああそれが、と困ったように笑う。
「本当は陛下に用事があって宮殿に行ったんだけど、陛下いなくてさ。部屋にいた人に聞いたらこっちだろうって」
「へえ、俺に用事? 珍しいな」
ピオニーは正直に驚きを露にした。
ルークはピオニーを苦手としているようだった。二年前ほどとは行かないが、今でも彼女の方から話しかけられたり、ましてや何かを頼まれたりということはない。
もっともピオニーは仮にも一国の皇帝であるので、当然と言えば当然なのかもしれないが。
ルークは、そうなんです、と頷いた。
「実はガイをしばらく貸して欲しくて」
「貸すも何も、あいつは自分ではお前の従者だって言ってはばからないがなあ」
ガイラルディアは、自分はルークの傍にいられればいいと、よりによって現在の主であるピオニーの前で豪語してのけた男だ。
おそらく彼の中ではピオニーは主ということにはなっていても、その後ろに括弧付きで仮だの何だの注釈がついているに違いない。
ルークもそれを承知しているのか、困ったように笑う。
「いや、でも一応陛下の臣下ですから。あ、でも本人には承諾もう取ってありますよ」
「そうか。それはともかく、一体何に使うんだ?」
ピオニーはもっともな疑問を口にした。たかが一日二日のことなら、わざわざこんな風に承諾を取りに来る必要もないだろう。
ルークは、何でもないことのように爆弾を投下した。
「ああ、しばらく世界を見てまわろうと思ってるので。本当は一人で行くつもりだったんですけど、それはやめろって止められて」
ピオニーとジェイドの動きが一瞬止まった。
ピオニーがお前聞いてるか、とジェイドに視線で問うと、彼は今初めて聞きましたよと返した。
どうやら決まったのは割と最近のことのようだ。ルークのことであるから、ひょっとしたら今日かもしれない。
ピオニーはルークの方に向き直った。
「…それは今すぐか?」
「出来れば近いうちに行きたいと思ってます」
いきなり止まった二人をいぶかしみながらも頷くルークに、ピオニーは親友の方に振り返った。
「だとさ。おいジェイド、どうするんだ仕事」
「どうすると言われましても」
そんなに急に言われても、と困惑を露にするジェイドに、ルークは更なる追撃をかける。
「え? ああ、いいよジェイドは」
「…は?」
ピオニーとジェイドの声が重なった。すっかりジェイドも連れて行かれるものだと思ったら、どうやら違っていたらしい。
「最近忙しいんだろ? 目の下の隈凄いし、夜もあんまり寝てないみたいだし。俺がいない間にゆっくり休んどいてくれよ」
輝くような笑顔で言われて、ピオニーは思わずジェイドに同情のまなざしを向ける。
ジェイドの顔に暗い影が落ち、眼鏡だけが光っているように見えるのはおそらく、彼の気のせいではないのだろう。
「…ルーク? ついでに聞くが、移動手段は?」
ルークの身柄をキムラスカから預かっている以上、手段によっては考え直すように言わねばならないだろう。
ピオニーが問うと、ルークは遠足前日の子供のようにうきうきとした表情で言った。
「出来れば全部歩きで、って行きたいところなんですけど、そんなに長い期間ガイを借りるわけにも行かないし、たぶんシェリダンでアルビオールを借りることになると思います」
「シェリダンまでは」
「確か今はグランコクマから定期船出てるんですよね。それを使おうと思ってます」
「…ガイと二人っきりで、か?」
「そうですけど」
何かまずかったですか、とルークが首をかしげた。色々と大人の気持ちがわかっていないお子様に、ピオニーはため息をつくしかない。
「…どうするんだ、ジェイド」
「何故私に聞くんです」
「今のこいつの保護者はお前だろうが」
「別にいいんじゃないんですか?」
ジェイドの承諾に、ルークは驚いたような表情で、いいのか、と訊き返す。
おそらく、これ程までにあっさり了解を取れるとは思っていなかったのだろう、とピオニーは思った。何故なら、彼自身もそう思ったからだ。
ジェイドは、眼鏡越しに静かな視線を少女に向けて頷く。
「ええ、良い事だと思いますよ。二年前とはだいぶ変わってしまった場所もありますし、見ておいて損はないでしょう」
「そっか。じゃあ決まりだな」
ルークがわかりやすく嬉しそうな顔をした。確かにここ一ヶ月はろくに外出もしていなかったようだから、退屈していたのだろう。
皇帝である自身よりもずっと自由に外に出られる立場にある彼女を、ほんの少し羨ましく思いながら、ピオニーは予定を尋ねた。
「出発は何日後だ?」
「船の都合がつき次第すぐに」
「そうか。俺が手配しといてやろうか」
「え、いいんですか?」
「ああ、かまわん。お前はキムラスカからの客人だしな、本当は護衛をもっとつけるべきなんだろうが…」
その言葉に、ルークの顔が引きつる。
「え、いいですよそんなの」
ルークの場合は、言葉よりも表情の方が雄弁だった。遠慮と言うよりは、本気で嫌がっているらしい。
ピオニーは、素直すぎる彼女の反応にくすくすと笑った。
「だろうな。護衛よりお前達の方が強そうだしな。だが、その代わりといっちゃ何だが、きちんと定期連絡だけは入れろよ。ガイラルディアはともかく、お前に何かあったらすぐさま国際問題だ」
念のため釘を刺すと、ルークは素直にこくりと頷いた。
「わかりました。ジェイド、仕事の邪魔してごめんな。またあとで」
「はいはい」
嵐のように去っていったルークを見送ると、ピオニーは親友に向けて、呆れたように声をかけた。
「…つまり、だ。お前はまだ、ルークに手を出してないんだな」
ジェイドは絶対零度の視線をピオニーに返す。
「身体はともかく、精神年齢十歳児にどうやって手を出せって言うんですか。私はそんな変態趣味はありませんよ」
「お前らの場合は見た目も十分犯罪だと思うがな。それにその十歳児に心底惚れてんのはどこの誰だ」
「…何を馬鹿なことを」
「俺が何年お前と付き合ってるか忘れたのか。そろそろ縁が腐り落ちるぞ」
「いっそ切れてしまえばいいですがねえ」
「…いくら八つ当たりでもそれは言いすぎじゃないか?」
「陛下が変なことを言い出すから悪いんでしょうが」
そう言ったジェイドの目は据わっている。ルークに同行を拒否されたことが、相当こたえているらしい。
随分素直になった親友に、ピオニーは感動を覚えた。今日は感動したり感嘆したり忙しい日だなと心の中で呟く。
「で、だ。お前いいのか、ルークをガイと行かせて。お前本当についていかないのか?」
「本人がいらないと言っているんですから行きませんよ。ガイも流石に、今のルークに手を出すような無分別な人間ではないでしょうし」
「さあな。若さって言うのは恐ろしいぞ」
「…陛下、今夜こそ夕食はブウサギのステーキですね」
「遠慮しておく。お前がぼーっとしている間に掻っ攫われても知らんぞ俺は」
「というか、あなたに私の恋愛事情が何の関係がありますか」
「大有りだ。少なくともお前の目の下にそれだけ盛大な隈ができる以上、皇帝としては放っとくわけにもいくまい?」
「あなたの手を借りなくてもそのぐらい自分で何とかしますよ」
ピオニーは、ならいいがな、と目を眇めた。
結局、本当はどうなろうが知ったこっちゃないのだ。外野が口出しして解決する問題でもない。
それに昔から言うではないか。夫婦喧嘩はブウサギも喰わない、と。この場合喧嘩でなく、一方的にジェイドが拗ねているだけであるが。
とりあえず放っておくこと、それがその時ピオニーの出しえた、最良の結論だった。
そしてその結果が、このグランコクマに局地的に吹き荒れるブリザードである。
なるほど予想の範疇と言えば範疇だ。流石のピオニーも、ここまで酷いものは予測していなかったのだが。
さんざんからかったせいで親友の機嫌は悪化の一途を辿っている。少しやりすぎたか、とピオニーは思ったが、そろそろ焚きつけてやらねばなるまいと考え直す。
年齢の割に意地っ張りと言うか、妙なところで素直でない親友の新しい一面は、すべてあの赤毛の少女によって発見させられたものである。言い換えれば、かの少女がらみでしか引き出せない一面ということだ。
その変化そのものは喜ばしいことなのだろう。一時期は悪魔と言う異名を取った男に芽生えた、やや遅めの青い春めいた感情を祝福するのはやぶさかではない。
ただ、それが彼の唯一にも等しい弱みにもなりうるということを、ピオニーは知っていた。
「――大佐!」
それから数刻も経たぬうちに飛び込んできた伝令の報告を聞いた死霊使いの表情は一瞬、皇帝の予想通りに、人形のように固まった。
→ next
2006/3/29 ジェイルクとピオニー陛下
「二つの間違いははじまりに過ぎない」
(マーフィーの法則に対するコーンの追加)