ア リ ア (緋 の 刻 に 彷 徨 う 声)
血の無い血溜まりの中で、それは立っていた。
まだ足りない。まだ。
「ここにいれば来ると思った」
唐突に声が響く。
それに聞き惚れながら、同時に戦慄を覚えた。
「動くな」
ああ、――縛られた。
ほの暗い愉悦が、それを支配する。
――縛ったのだ。
ガイはまず最初に、レムの塔に向かうことにした。
キナ臭いところに行けばルークに会えると思った、という訳ではなかったが、実際気になっていたからだ。
不安材料は早めに排除しておくに限る。
この情報は、ティア達にもそう遠くないうちに知れるはずだ。別れる前に、まずはゲート付近から当たってみると言っていたから、彼らの立ち寄ったいずれかの町で、その噂を聞くことになるのだろう。
もし、レムの塔付近で彼らと会ってしまったなら。――そのときは確実に、ルークはそこに居るのだろうな、とガイは思った。
「ルーク、きちんと大人しく待ってろよ」
今度は変なことに巻き込まれていなければいいと思いながら、それはいつだって叶ったことがないのもまた事実だ。
早く見つけなければ。焦りが彼の足を動かす。
道中、彼は少し気になる噂を聞いた。酒場の喧騒の中で、ふと耳に入ったその話が、どうしても気になったのだ。
こういった際の勘が外れたことは殆ど無い。薄気味が悪いねえ、と言い合う商人達に、ガイは人のいい笑顔で話しかけた。
「その話、詳しく聞かせてくれないか」
その周辺に住んでいる友人が居るから少し気になるんだと言えば、彼らはあっさりと教えてくれた。
「森の中に魔物の死骸があるんだよ。しかも一体二体じゃなくて、いくつもいくつも。大した外傷があるわけでもないし、だが毒や疫病の類でもなさそうなんだ。本当に気味が悪いったらねえよ」
ガイはその商人に礼を述べて、そして考え込んだ。
「…偶然にしちゃ、出来すぎてるよな」
レプリカの死と、魔物の死。
レプリカのときは詳しい死の状況はわからなかったが、もしそれらが一致するというのなら。
早計だというのはわかっているが、それでも両者を結び付けて考えずにはいられない。
嫌な予感は早々に当たりそうだ、とガイはため息をついた。
突然酒場の入り口の方で、何かが崩れるような音がして、ガイはそちらに視線をやった。
そして目を見開く。
「ルーク…?」
鮮やかな赤橙の髪。それを揺らしたその生き物はちらりとガイを一瞥した。
全く違う。違いすぎて寒気がする。
これは人間じゃない。魔物ですらない。
ガイは腰の剣に手を伸ばす。
そしてその次の瞬間、彼は意識を失っていた。
ジェイドは彼らしくもなく、焦燥を感じていた。
嫌な予感がするのだ。
ガイが旅立ってから、一週間近くが経つ。先に出たティアからは、何の連絡もない。
アッシュとナタリアは公務の合間をぬって動いているようだが、あれから連絡網がつながったという話も聞かない。
アニスはダアトに居る筈だが、おそらく気軽にルークを探しに行けるほど、立場は良くはないだろう。
ローレライ教団を率いる人間となった以上、個人の意志でそう簡単に行動できるはずも無く、また周囲もそれを許さないだろうから。
レプリカの集落はあれから一つも滅びていない。だが、その代わり、別のものが現れるようになった。
緋色の化け物。
人間のようだが、人間ではない。そしてそれが立ち寄った場所では、必ずと言っていいほど何かが「動かなく」なっているのだ。
その被害は動植物だけでなく、人間にも及んでいた。
動かないが、死ぬわけではない。文字通り、指一本動かすことが出来なくなっているのだ。
今のところ死人はまだ出ていないが、このままではいつか必ず誰かが死ぬ。
ルーク。
ルークは、何をしているのだろう。
「失礼いたします、大佐!」
下士官に呼ばれ、ジェイドは思考の海から抜け出した。
「何だ」
「はっ!」
下士官から報告された結果を聞くに連れ、ジェイドの顔色は変わっていった。
彼はそれでも冷静さを取り繕い、こう言った。
「…陛下は、この事は?」
別の人間が報告している、という報を聞き、そうか、と彼は頷く。
「ご苦労。…このことはくれぐれも、他には内密に」
了解いたしました、と言って下がる士官を見送り、そしてジェイドはため息をついた。
ついに仲間にも、被害者が出てしまったのだ。
ティア・グランツが、セントビナーで。そして、ガルディオス伯ガイラルディア・ガランが、レムに程近い小さな集落で。
それぞれ、他の人間と一緒に、動かなくなっているのが発見された。
そしてもう一人。
彼は言われたそのままを、もう一度復唱した。
「ルーク・フォン・ファブレが、ザオ遺跡付近で発見された…」
手遅れ、だったのだろうか。ジェイドは考えるのを中断して、軍靴をある方向に向けた。
彼に会わなければならない。
突然呼び出されたアッシュは、自分の目の前に横たわるものを見て、愕然としていた。
三つのベッドの上に、それぞれ一人ずつ、よく見知ったもの達が横たわっているのだから、それも当然だろう。
――しかもそのうちの一つは、彼自身と同じ顔をしているのだから。
「…の、屑が」
小さく吐き捨てる。その気持ちは、ジェイドにも良くわかるような気がした。
「では、アッシュ」
促すと、アッシュはルークの額に手を当てた。そして目を閉じる。
数十秒ほどそうしていただろうか。彼はルークの額から手を離した。
「…前と同じだ。繋がらん」
「そうですか…」
せっかくあなたに来てもらったのも無駄になってしまいましたね、と言えば、まったくだ、と彼が返した。
ルークは静かに目を閉じていた。それはまるで眠っているようでもあった。
死んでいるわけではないが、生きているわけでもない。文字通り、「止まっている」。
「やはりこうなれば、その緋色の化け物とやらを捕まえるしかないのでしょうね」
「しかしどうする。現れる場所は不規則だ。それにもし運よく遭遇したとしても、対抗手段がないだろう」
緋色の化け物は、出会った相手の動きを止める。
どういった方法を使っているのかはわからないが、ガイやティア、ルークですらもそれに太刀打ちできなかったのだ。
しかしジェイドはそれを否定した。
「…共通点があるんです。化け物に襲われて、無事だった人々に」
「何だ?」
「耳ですよ。…耳が聞こえなかったり、何らかの理由で聞こえにくかった人々は、化け物の使った技が効かなかった」
成る程、とアッシュが頷いた。
「つまり化け物とやらは、音を媒介にしている可能性が高い、ということか」
「その通りです。…詳しいことはわかりませんが」
言いながら、ジェイドはルークに視線を落とした。
「アニスとナタリアにも協力を要請して、化け物退治を手伝っていただければいいのですが」
「…無理だろうな。本人達が望んでも、周囲が許さない」
彼女達はとっくの昔に重要な歯車になってしまっている。それを万が一にでも喪わせるような事はできない。
それはジェイドの目の前にいるアッシュも同じだ。
「お前自身もそうじゃないのか」
アッシュに言われ、ジェイドは苦笑した。
「そうですね。でも私は選びましたから」
「ルークをか?」
「…そうです」
ほんの少しでも可能性があるなら諦めない。諦められないものを、ジェイドは知った。
「皇帝は止めなかったのか」
「そうですね」
ピオニーは、初めからこうなるのがわかっていたのかもしれない。にやりと微笑まれながら言われたものだ。
「たとえザレッホ火山に突き落としても、お前は帰ってくるだろう、と言われましたから。いやあ信頼されてますねえ」
「…そうか」
どこか疲れたようなアッシュの声に、おや元気がありませんねえどうしましたか、とジェイドは笑ってみせる。
「それで、次はどこだ」
「おや、手伝ってくれるんですか?」
「ほっといても後味が悪いからな。別にあいつやお前のためじゃない」
全く素直ではない。ルークとはやはり似ても似つかない、それでいてやはり似ている。
「おそらく、次はグランコクマに来るでしょうね」
「…何故そう言える?」
純粋に疑問のまなざしを向けたアッシュから目を逸らし、ジェイドは自分の隣で、今は止まっているルークを見下ろす。
「ルークのつけている日記ですよ。こんなところで役に立つとは、思いもしませんでしたが」
「日記…?」
「彼の日記には、化け物とやらの足跡が細かに記されています。化け物はホドからアクゼリュスに向かった後、ルグニカ平原を通り、どうやらグランコクマ方面へ向かっているらしいとありました」
もちろんその行く先々で町の動きを止めながら、とジェイドは付け足す。
ちょうどそのあたりでがらりと筆跡が変わっているのが少し気になるが、おそらく文章の組み立て方からすれば本人なのだろう。
「緋色の化け物は、多分あの預言を知っている。…その言葉で、彼の日記は終わっていました」
「預言…か」
アッシュは怪訝そうに眉を寄せる。
「あれからもう二年も経っているんだぞ。…何故今更になって、そんなことをする必要がある?」
「さあ。そればかりは、化け物とやらに聞いてみないと」
幸い、化け物の移動スピードはそれ程速くはない。とはいえ、みすみすグランコクマに化け物を入れる訳にも行かないということで、ジェイドは待ち伏せをすることにした。
海上都市であり、陸地と切断された要塞にもなるグランコクマは、海路を使わない限り内部に入るにはたった一本の橋を渡るしかない。そこで待っていれば、嫌でも化け物には会うことになる。
計算上、後二三日もすれば、念願の化け物とのご対面だ。
念のため陸地との切断もピオニーに進言しておき、万が一に備えておく。失敗するつもりは欠片もないが、保険は必要だ。
あの場所には今、無力なルークがいる。そしてその他にも、多くの民がいるのだ。
そして、あの化け物の行動が預言の通りだとするなら。
次は間違いなく、マルクトが滅びる。
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2006/3/14 証明