レ チ タ テ ィ ー ヴ ォ (喪 失 の 証 明)
ルークは一人、剣をかざす。
「一人になんか、頼まれたってなりたくない」
刃に映るは、赤橙の髪と翠の瞳。
ガイラルディア・ガラン・ガルディオスは、表向きはマルクト皇帝ピオニー九世のブウサギの飼育係だ。
しかし同時に、彼の密命を受けて動く手足でもあることは、意外と知られていない。
そしてその実態はというと、ただの雑用係である、ということは、宮殿の中では知らぬ者のいない事実だった。
「ルーク・フォン・ファブレの捜索隊?」
だから皇帝陛下の機嫌がやたらと悪いことに、ガイはあまり有難くない数々の経験のせいで気がついた。ちらりとジェイドに視線を向ければ、肩をすくめられる。
おそらく仕事が溜まっていて、ろくに遊んでいないのだろう。ジェイド自身は無表情だが、彼もまた被害を受けているに違いない。
「全国指名手配して、さらに捜索隊まで出すか。どうしてマルクトがそこまでしなきゃならん、と貴族連中には言われそうだな」
「なら俺に休暇をくださいよ。探しに行って来ますから」
捜索隊を出すかガイ一人を出すか。論理的に考えれば、前者の方がまだ効果はありそうだが、実際に効率的だと思われるのは実は後者だ。
予算も実にリーズナブルどころか価格破壊を起こしそうだが(何せたった一人だ、たがか知れている。何十人も何百人も出すのはやはり金がかかる)、本人の希望通り彼を出すのが得策だろう。
しかし皇帝陛下は、実に渋い顔をしていた。
「…何がそんなに嫌なんですか」
「俺がそんな楽しそうなことに参加できないのがつまらん」
ジェイドとガイの冷たい視線を一身に浴びながら、しかしそれを欠片も気にせずにピオニーは肩をすくめる。
「第一ルークもルークだ。あいつ俺にあれだけ世話になっておきながら、顔も出さずに雲隠れとはいただけんな。という訳で、だ」
ガイは経験上、嫌な汗をかいた。こういうときの皇帝陛下は、何か突拍子もない、妙なことを言い出すに決まっている。
「あいつを見つけたらこれを着せて俺に挨拶に来させろ」
それで許してやるよと言いながら、何故か玉座の裏から彼が取り出した衣装を見て、ガイは言葉を失った。
ちゃき、と鍔鳴りの音が響いて、さすがにジェイドが制止する。
「抑えてくださいガイ。私だって呆れています」
「あんたそれじゃそのにやけてる口元どう説明するんだ」
「いえ、これはもともとこういう顔なので」
ガイははあ、とため息をついて、わかりましたよそれ着せればいいんですね、と疲れたように言った。
「我ながらナイスセンスだろう」
あんたのセンスは人間のそれじゃなくてブウサギのそれじゃないのかとガイは言いたくなったが黙っておいた。
一応相手は皇帝陛下で敬意がないこともないし、ここは謁見の間である以上人目もある。
いくら人払いがしてあるとはいえ壁に耳あり、だ。不用意な発言はしないことに決めている。
特に隣で胡散臭く笑っている、陰険眼鏡と行動を共にするようになってからは。因みに、先ほど抜刀しかけたことは棚に上げておく。
それじゃあ俺は用意があるんでこの辺で、とガイが辞去しようとすると、まあ待て、とピオニーがそれを止めた。
「焦るな焦るな。実は一つ言わなきゃならんことがある」
軽い口調の割に、ピオニーの瞳は真剣な色をしている。
先ほどとは別の意味で嫌な予感を覚えながら、ガイは何ですか、と答えた。
「…最近、妙な事件が続いている」
キナ臭い話になりそうだ、と思いながら、ガイは、どういうものですか、と訊き返す。
「レプリカが次から次に消えてる。…しかも、ある日突然に」
「あれだけの人数が、一度に失踪したとは考えにくい。…おそらく死んだものと思われます」
淡々とジェイドが言った。その分、その言葉の信憑性は重くガイにのしかかる。
ピオニーが憂鬱そうに、どこか苛立たしげに続けた。
「一つの集落が全滅した。その次の日に、また別の集落が。そうやっていくつか、レプリカのいる集落が滅んでる。だが、疫病が流行ったわけじゃない。その証拠に、そのほかの、レプリカのすんでいない周囲の集落は何ともないからな。けど、殺されたようにも見えない」
「譜術でもないんです。少なくとも、どちらもそんな痕跡がない。レプリカは死ねば消えてしまいますから、いつごろどうやって死んだのか、正確にはわからないのですが」
聞けば聞くほど不気味な話だ。そんなことがあるのだろうか。
「レプリカだけに流行る病、か?」
「その可能性も考えました。ですが、最初に滅んだ集落から別の集落までは、いくつも全く無事なレプリカの集落が存在しています」
産み出されたレプリカは現在、レムの塔周辺にいくつかの集落を作って生活している。
それぞれの集落の間には、距離が近いせいか頻繁に交流もあるようで、だからもしそんな病が流行ったのだとすれば、すぐにすべての集落が全滅してしまうだろう。
「…一体何が起こってるんだ…?」
「現時点では全く何もわかっていません。ただ、それが起こった時期が問題なんです」
「時期…?」
「アッシュが帰ってきてからルークが帰ってくるまでに一つ、ルークがいなくなってから、三つ。正確に言えば、ルークが帰ってくる前後に集中していますから、この一週間以内に四つの集落が滅んだことになります」
数字にしてみれば少ないようだが、集落が四つ滅んだとなると、それは悠長にしていられる事態ではない。それはつまり、それ以上のレプリカの、人間の死があったということだ。
そしてガイははっとした。ルークは、レプリカだ。その心は複製品でなくても、少なくともその身体は。
「…さっさと見つけないと、やばいことになりそうだな」
ガイの言葉に、ジェイドも頷く。
「その通りです。…これがもしルークの帰還に関係しているのなら、なおさら」
「何かあれば知らせる。定期連絡を忘れるなよ」
「わかりました。では失礼します」
居ても立ってもいられないとばかりに、早足で退出していく青年の後姿を見送り(こういう所はルークに似ていると彼は思った)、ピオニーは祈るように呟いた。
「頼むぞ、ガイラルディア」
それは本当に小さな声だったのだが、彼の親友はそれを逃すことなく聞きとめた。
「大丈夫でしょう。彼の親ばかぶりは健在のようですから」
ピオニーはちょっと驚いたように、無表情の親友を見た。その手のひらが硬く握り締められているのを見落とすようでは、彼の友人としては失格だ。
「…そうだな」
ひとり残された部屋で、ピオニーは深く嘆息した。
私もやることがありますので、と先程去っていった友人は、きっと今、ルークを探しに行くことのできるあの青年を、心底羨ましがっているに違いない。
そしてなおかつ、それを認めずに、自分の理性と感情の間で葛藤しているのだろう。
まったく、要らぬ所でややこしい性格をしている。探しに行きたいのなら言えばいいのに、言わないあたりがもうどうしようもなく彼らしい。
けれどそうなった原因は、と思うと、ピオニーは苦笑せざるを得ない。
ジェイドは変わった。本人は認めないかもしれないが、きっと本当は彼自身も気がついているのだろう。
今までよりずっと人間くさくなった親友の変化は、きっと歓迎すべきことなのだろう。
実際ピオニーは嬉しいのだ。その中に一抹の寂しさがあるのも、また否定できないが。
「何であいつ女じゃないのかねー…」
親友の変化の理由を思い出しながら呟く。全く惜しい。もし彼が女だったら、…ひょっとしたら自分が惚れていたかもしれないが。
もし彼が女だったとしたら、ジェイドの遅すぎる初恋の背中を喜んで蹴り飛ばせたかもしれない、と思うと、悔しくてならない。
結局自分もあの少年を気に入っているのだ、とピオニーは思った。でなければ愛するブウサギに、その名を付けたりなどするものか。
今頃ジェイドは、悟られぬように歯噛みしながら、必死でルークを捜し求めているのだろう。
彼のルークに対する執着が並々でないことを、ピオニーは知っていた。
ジェイドの罪と償いを、天秤にかければ。彼はその、両方の皿に乗っている。それ程に、ルークはジェイドにとって重い存在だ。
本人は気付いていないかもしれないが、ジェイドを長年見てきたピオニーには痛いほどそれが良くわかる。
だからこそ願うのだ。
彼が無事に、戻ってくることを。
今度は誰にも聞かれないように、心の中だけで呟いた。
(ルーク。早くきちんと戻ってこい。…俺の親友が、壊れる前に)
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2006/3/14 生を知るもの