魔 女 の 福 音

コ ー ル (或 い は 崩 落 の 予 感)



 ルーク・フォン・ファブレが帰還した。
 帰還して、すぐまたいなくなった。

「さがさないでください」
「さがしにきたらゆるさないぞ」
「もしさがしにきたら、全力で逃げるからそのつもりで」

「とゆーわけでアッシュ、後は任せた。よろしく」

「後は任せた、じゃねーよ屑がぁあああああ!!!!!」
 ばさあ! と紅い長い髪を振り乱して、アッシュがわかりやすくキレた。
 朝起きて、なかなか起きてこないルークを起こしに行ったメイドが目にしたのは、からっぽの冷たいベッドと、
「実に…端的な置手紙だな」
「状況説明も何もないわね」
 たった四行、汚い文字で書き捨てられた、どうやら日記のページの一部らしい白い紙切れ。それだけだった。
 因みにそれを読み上げたのはアニスだった。いきなり渡されなんだこりゃ、と思って読んでみたら案外やばそうな内容だったので、彼女の顔はこころなしか蒼褪めている。
 帰ってきたルークをとりあえずバチカルに連れ戻し、一夜明けたらすぐこれだ。
 もっとも彼は、バチカルに戻るのをそれはとてもとても嫌がっていたので(思えばあの時点で既におかしかった)、何となく納得できるような、やっぱりできないような展開である。
 けれどさすがに、それこそさすがにジェイドですらも、彼が即日こんな暴挙に出るとは予想もつかなかった。
 ルークが戻ってきてからまだ一日しか経っていない。ゆえに、あの渓谷にいたメンバーは全員この場に揃っている。
 ガイは、おかしいな、と首をひねった。
「そんなにファブレ公爵家に戻るのが嫌だったのか…?」
「でも、ファブレ公爵夫妻に会うことは嫌がってはいなかったわ」
 ティアがそういうと、それもそうだよなあ、と頷くしかない。
 ファブレ公爵は話の通じない人ではないから、何もこんな強硬手段を使って逃げ出さずとも、きちんと説得すればルークが外に出ることを許すはずだ。
 本当に訳がわからない。たった一つ、手がかりがあるとすれば。
「…帰ってきた彼が、たった一度しか私達に話しかけなかったのが気になりますね」
 ジェイドの言葉に、それしかない、と他のメンバーが頷く。
 帰ってきたときにたった一度、ただいま、と言ったきり、ルークは一言も話してはいない。
 疲れているのだろうと思って早めに休ませたのだが、それが仇になったのだろうか。
「見張りの白光騎士団は」
「鈍器で殴られて昏倒させられたような跡がありました」
 命に別状はないようですが、とジェイドが淡々と続ける。
「…マジで、本気で逃げるつもりだな」
 通行人が彼を見かけたという話も聞かない。彼が逃げ出したのは深夜から早朝にかけてだろうから、人目が少なかったといえばそれまでだ。
 ただ、王都であるバチカルには、それなりに見張りの兵も立っているはずなのに。
「誰一人として、ルークを見た人間がいないとなると…まるで、消えてしまったかのようですね」
「おい!」
 ガイが非難するような声を上げた。その隣では、僅かに顔を蒼くしたティアが俯いている。
「縁起でもないこと言うなよ」
「ですが本当のことでしょう」
 冷たい紅い目に一瞥され、だけど何もそんな言い方しなくてもいいだろう、とガイが食い下がる。
 ルークを待っていた二年は、誰にとってもそう短い期間ではない。
「…本人が探すなという理由がわからないかぎり、その可能性も無くはない」
 そういったのはアッシュだった。周囲のさまざまな視線を受け流しながら、彼は続ける。
「が、それは無いだろうな」
「どうしてですか?」
「今回線がつながったからだ」
 回線。周囲がその言葉の意味を思い出すのに、しばらくの時間がかかった。
「回線、って、便利連絡網のこと?」
「便利…」
 アニスの言葉に、アッシュが絶句する。
「…まあ、そうなるな」
「そういえばあなた達は、そういうものも使えるんでしたね」
 ジェイドがやっと思い出した、というように言った。普段の彼ならありえないことだが、見かけによらずよほど動転していたらしい。
「それで、ルークは?」
 ジェイドの呼びかけを、アッシュは手で制した。現在頭の中で会話しているらしい。
 眉間に皺がよっていく速度から、どうやら話の進行が思わしくないのが見て取れる。
「ざっけんな屑!」
 どうやら回線が切れてしまったらしい。アッシュが額に青筋を立ててキレだした。
「ルークは、何と言っていたの?」
 ティアの質問に、多分泣く子が見たら失神しそうなほど鬼気迫る表情のアッシュが、地の底を這うような声で答えた。
「いくら聞いても言えない教えられないの一点張りだ、あの大馬鹿野郎は! 挙句モンスターが現れたとか何とかで勝手に回線切りやがって…!」
「ルークが回線を切ったんですか?」
 驚いたようにジェイドが言った。アッシュからのときはアッシュが回線を切ってばかりだったから、ルークの方から切れるとは思わなかったらしい。
「視界の共有をしようとしても、何かの力でブロックしてやがった。あれじゃ場所の特定も出来やしねえ」
「もう一度繋いでみたら…」
「…駄目だ。聞こえてても無視してるか、ブロックしてるかのどちらかだな」
 状況は八方塞がり。ため息の一つもつきたくなる。
 ガイがふと、気になってたんだが、と口を開いた。
「…回線のブロックってのが気になるな。そんなことできるのか」
「…何故俺に聞く」
「ルークが前試してたの見たからな。自分からアッシュに回線を繋げられるかどうか」
 因みにそれが一度も成功しなかったのも、ガイは知っている。当時はアッシュが無視しているのか、そもそも繋げられないのかはわからなかったが、今はその張本人がここにいる。
「俺はそんなもん知らん」
 周囲の視線が、じっとりとしたそれになる。
「…本当に?」
「嘘だったら…捩じ切るわよ」
 ティアが杖を構えた。背後に見える黒いオーラに、アッシュは何で俺がこんな目に! と心の中で叫ぶ。
 ふぁいなるふぁんたじーですね、いやげーむがちがうじゃないですか〜、という暢気な背後の掛け合いも、今の彼には聞こえない。
「知らんもんは知らん! 脅したって無駄だ!」
 やや及び腰になるアッシュ。そのまま硬直が数秒間続いただろうか。
「…本当に知らないのね」
 この役立たず、と彼女が思っていたかどうかは定かではないが、ようやく途轍もないプレッシャーから開放され、アッシュは密かに止まっていた息を吐いた。
「しかし、アッシュの便利連絡網が使えないとなると…地道に指名手配でもするしかないわね、これは」
「本人が探すなと言っているのに、ですか?」
 ジェイドの言葉に、それはそうだけど、とティアが呟く。
「…また何か厄介ごとを背負ってるんだったら、それを放っておくわけにもいかないわ」
「そうですよぅ! ルークは厄介ごとを引き寄せる天才だから、ほっとくとまた大変なことになっちゃいますって」
 散々言いたい放題言われているが、本人はこの場にいないので、残念ながら否定できない。
「…ふむ。それもそうですね。子供の『さがさないでください』は、『絶対にさがしてください』と同じ意味だっていいますし」
 ルークの精神年齢は恐らく十歳未満なので、中身だけで言えば十分子供の範疇に入る。
 本人が聞いたら、ガキ扱いすんな! とキレるところだが、やはり本人は残念ながらこの場にいない。
「しかし、指名手配ですか。全国指名手配を受けるなんて、一体どんな重犯罪人でしょうねえ」
「そりゃもう大罪人ですよう」
 アニスが笑う。にっこり、というよりは、にやり、に近い。
「何せこの可愛いアニスちゃんを二年も待たせといて、その上勝手に消えちゃうし〜」
 次会った時はただじゃおかない、とそれはたいそう楽しそうに言った、アニスの背中のトクナガの目がぎらりと光った。
「それもそうだな。あいつが周りにどれだけ心配かけてんのか、一度きっちりわからせてやる必要があるな」
 この親友兼使用人の俺にまた隠し事とはいい度胸だ、とガイが笑う。
「そうですわね。私達も、できる限りのことは致しましょう」
 ねえアッシュ? とナタリアに言われて、ふん、と彼はそっぽを向いた。
「…この俺に後始末を押し付けたことを後悔させてやる」
 後始末って言ったってあなたろくに動いてないでしょう、とはジェイドはあえて言わなかった。
「まあ、そうですね。お仕置きは覚悟してもらいましょうかね」


 ルークは唐突に寒気を覚えて目を覚ました。
 空には遠く、うっすらと星が輝いている。少し曇っているせいか、月がやけに明るく見えた。
(…手紙にはああ書いたけど、やっぱり皆俺を探すんだろうなあ)
 意外と心配性なティアや、過保護なガイを思い出し、一人苦笑する。あの二人は少なくとも探しに来るだろう。
 これが自惚れでなければ、彼らにはかなり好かれている、とルークは思っていた。
 アニスやジェイドやアッシュは探してくれないかもしれないが、そのほうがかえって都合がいい。
 酷いことをしている自覚はある。だがそれ以上に、これは隠されなければならない。

 がさり、と、近くの草叢が動いた。

 ルークはそちらを一瞥した。その手を、傍に置いた剣に伸ばすこともしない。


 そして次の朝。
 その場を偶然立ち寄った隊商は、ある意味では珍しい、不気味なものを見かけた。
 たった一つの傷跡すらも無く、絶命している獣の亡骸だ。
 獣の亡骸はたいてい、いつのまにか肉食の鳥や他の魔物に食われて、音素乖離がなくともその場に残ることは少ない。彼らは大方、その獣は毒か病にでもやられたのだろうと結論付けた。
 しかし、彼らは知らない。

 彼らの立ち寄らぬ森の奥では、さらに多くの獣達が、同じような死骸を曝していることを。
 まだ新しいそれらは、しかし死骸を食べる鳥や魔物についばまれることも無く、ただ腐敗して行くのをじっと待っていた。


→ next

2006/3/13

← back to index
template : A Moveable Feast