いつかの薄明
戻ってきたのは、自ら燃え滓と名乗った青年だった。
仲間の驚きと、そして落胆は、青年を傷つけないはずはないのに、どうしても心が沈むのは止まらない。
皆がどこかで、「彼」が帰ってきてくれればいいと思っていた。
もちろんアッシュが戻ってきたのは喜ばしいことなのだろう。けれど、たとえそれがナタリアだろうとも、その帰還を素直に喜ぶことはできなかった。
アッシュは、其の死に様を確かに見ていないとはいえ、一度死んでいるのを誰もが知っていた。だから、ある意味諦めがついていた。
けれど、ルークは。
ただ一人、すべての結果を知るジェイドは、苦々しい微笑を浮かべる。
俺はお前の望むルークじゃない、と言われた瞬間の、ティアの落胆は凄まじかった。彼女は呆然として、その場に座り込んでいた。
その次の、アッシュの言葉を聞くまでは。
冷たく月光の降り注ぐ中、アッシュはぼそりと呟くようにいった。
「…あいつは戻ってくる」
その場にいたもの全ての視線を受けて、アッシュは遥か天を仰ぐ。まるでその先のどこかに、求める相手がいるかのように。
「必ず戻ると、あいつは言っていた。だから、絶対に帰ってくる」
ジェイドはその呟きを聞きとめて、ふと眉を寄せた。
「…待ってください、アッシュ。あなたは、ルークに会ったのですか」
アッシュが目線を、空からジェイドにまで落とした。冷たい色の瞳が、ジェイドの緋色の瞳を窺う。
「ああ。会った」
「どこでですか?」
「…第七音譜帯だ」
アッシュの言葉に、ジェイドは驚いたような声を上げる。
「まさか…、どうして? コンタミネーション現象は起こらなかったんですか…?」
「いや、多分起こった。ただ、俺の中に入り込んでいたあいつの記憶を、あいつ自身が奪っていった。第七音譜帯の中で」
アッシュは、自分の手のひらに視線を落とした。その中からまるで砂のように零れていったものを、彼はまだ鮮明に覚えている。
「…それではルークは、第七音譜帯に取り残されてしまったの…?」
ティアの悲哀の滲む言葉を、しかしアッシュは否定した。
「取り残されたというよりは、自分で残ったのだろう。俺があいつと別れたとき、あいつはあいつの自我を保っていた。ローレライのそれと少し似ていたが、あれはたしかにあいつの自我だ」
自分が出会ったルークは、多分精神体のようなものなのだろう、とアッシュは結論付けていた。ルークが消えるような気がしたのは、彼の声の持つ雰囲気が、ローレライのそれとよく似ていたせいだ。
アッシュは知らずのうちに眉間に皺を寄せる。
次に口を開いたのはガイだった。彼は戻ってきたのがアッシュであると知った瞬間から、ずっと表情をなくしていた。訝しげな表情は、ようやく彼の心が落ち着いてきた、ということの証拠なのだろうか。それは果たして喜ばしいことなのかどうか、アッシュにはわからない。
「でもそれじゃあ、どうやってあいつは戻ってくるって言うんだ? あいつの身体は…もう」
「…ないな」
言いづらそうに躊躇ったガイの言葉を、アッシュは引き受ける。
「精神だけで、人は生きていけるものなのか?」
ガイはジェイドに視線をやった。ジェイドはそれを避けるように、目を伏せる。
「…精神だけでは、数分もしないうちに消えてしまうのが関の山だと思いますよ」
何せ質量がないですから、すぐにばらばらになってしまうでしょうね、と、無感動にジェイドは言った。
「それじゃあ、もし会えたとしても、すぐに消えちまうってことじゃないか…!」
ガイは苛立ちを孕んだ声で、そう吐き捨てた。
けれどアッシュはその言葉も否定した。
「…誰もあいつの体がなくなったままだなんて言ってないぞ」
「…何だと?」
アッシュはため息混じりに続けた。
「…何せ全部消えたからな。再構築に、時間がかかっているんだそうだ」
その言葉に目を見開いたのは、ガイだけではなかった。
「それじゃあ、…ルークは戻ってくるの?」
ティアの、震える声の問いかけに、アッシュは首肯した。
「だからさっきからそう言ってる」
「ルークが、ルークとして、ですか?」
ジェイドの、珍しくも驚いたような声音。
「おそらくな」
喜ばしい答えを言ったはずのアッシュは、しかし厳しい表情のままだった。
「あいつは去り際に、帰ってくるといった。…どのくらい先になるかとは言っていなかったが」
「…つまり、あたしたちが帰ってきたルークに会える保証はない、ってこと?」
アニスの落胆の言葉は、予想していたよりずっとずっと深く、その場にいた人間の心を抉った。
悲痛と哀惜の交じり合った沈黙が、静かな渓谷を支配する。
永遠に続くかのように思われた静寂を破ったのは、ジェイドだった。
「…少なくとも、私たちが生きているうちには会えますよ」
確信に近い、その口調に、ガイが不思議そうな顔をする。
「あんたがそういうことを言うのは珍しいな」
「おや。私は結構本気で言っているのですがねえ」
「…どうしてですか?」
ティアの言葉に、にっこりと、ジェイドは確信の笑顔を向けた。
「彼はいささか寝坊はしますが、必ず私たちに追いつきますから。私たちが待っているとわかっている以上、必ず会えますよ」
ジェイドの、ある意味ジェイドらしいその言い草に、周囲は一瞬あっけに取られる。
「…そうね」
ティアがふ、と微笑んだ。どこか泣きそうな笑顔だったが、それでも先ほどの弱々しさは、いつしか薄れはじめていた。
「けれど、あんまり遅いと、皆お年寄りになってしまって、ルークの方がわからないかもしれないわね」
アニスが、ええーそれは困るよぅ、と頬を膨らませた。
「ただでさえ十年近くもブランクがあるのに、これ以上年が離れたら大変だよ〜」
「…頼むから、あんまり寝坊はしないで欲しいもんだ」
ガイの言葉に、くすり、と最初に笑ったのは誰だっただろう。
案外それはアッシュだったかもしれなかった。
夜が更ければ、世間は大騒ぎになることだろう。それを予想して、ジェイドは一人苦笑した。
先にアルビオールに向かった若者たちを追い、彼は歩き出した。途中で一度だけ、奇跡の渓谷を振り返る。
誰もいなくなったその場所に、どこからともなく、ふわり、と光る何かが舞い降りた。
「早く、目を覚ましてくださいね。――ルーク」
でなければ一番年寄りの私は、あなたに会えなくなってしまうかもしれませんから。
そう呟いて、ジェイドは一瞬苦笑すると、今度こそ振り返らずに踵を返した。
白んだ空が明るくなるのは、それほど遠いことではないだろう。
暁は、もう間近だった。
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2006/3/5 アッシュとジェイドとガイとティア