あなたのこころとたなごころ
 アッシュは大変困っていた。
 自分の服の中で震える子供と、目の前でにっこり微笑む、ろくでもない男と。
 頼むお前だけが頼りなんだとばかりに服にすがりつく子供に、愛情が無いわけではないが――アッシュは二人を見比べて、そして保身を取った。
 外套の中から、掌に乗るほど小さなからだをした生き物をつまみ出し、目の前の男の顔の前に突き出してやった。
 男は少し驚いたような顔をして、それから再び笑顔に戻る。
 それは先ほどのものよりも、ずっとずっとたちの悪いものだった。
 一方突然外につまみ出された子供は、しばらく呆然としていたが、やがてアッシュの方にぐるりと向き直って、涙目で叫んだ。

「このうらぎりものー!」

 アッシュはため息をついた。

 アッシュがエルドラントから戻ってきたのはちょうど一ヶ月ほど前のことだった。
 月夜に光る花の中、微妙な表情で自分を見つめる面々に、アッシュは彼らとは全く違った意味で、微妙な笑顔を浮かべた。
 服の中で、皆に言ったら恨んでやる、とばかりに、自分の腕をつねっている子供がその原因だった。
 彼のことは憎たらしかったが、仕方なく言うことを聞いていたのは、当時の彼の境遇に少なからず同情を覚えていたからだろう。

 アッシュが大爆発の本当の意味を知ったのは、第七音譜帯で目覚めたときだった。
 自分の中に入り込もうとする温かい塊が、自分の体と交じり合い、そして命を再生させようとしていることに気がついたとき、アッシュは愕然とした。
 悲鳴を上げた。全身で拒絶した。それでもそれは止まらなかった。
 そしてそのまま自分は自分のレプリカと溶け合う――はずだったのだが。
 突然ローレライは言った。

「あ、もう入らん」

 意味が取れず、はぁ? とアッシュは、目の前でふよふよしている金色のかたまりを見つめた。
 ローレライは、何となく困ったような気配を醸し出しつつ、もう一度言った。
「だから、お前の体がいっぱいになってしまって、もう入らんと言っている」
「何が」
「しかたない。こうなったらもう一つ小さいサイズで身体をつくっておさめるしかあるまい」
「いや、だから何がだ」
「しかしこれは幸運なのかそれとも不運なのか」
 人の話を聞けよお前。アッシュは額に青筋を立てたが、しかし次の瞬間、ぽん、と間抜けな音を立てて目の前で唐突に起こった現象に、怒りを飲み込まざるを得なかった。
 ローレライはおそらく掌を模しているのだろう場所に、小さな赤いかたまりを乗せていた。
 どう見たってそれは人の形にしか見えなかったので、アッシュは思わず瞬きをし、そして目をこすった。
「…何だ、これは」
 そんな月並みな言葉しか出なかったのは仕方ないだろうと思う。
 ローレライはあっさり答えた。

「ルークだ」

 説明を極限まで省いた答えに、アッシュは絶句した。
 しばらく考え、そしてそれが無駄だと気がついて放棄した。さすがに情報が少なすぎて訳がわからない。
 己の師や死霊術師であればこの状況からでも正答をもってきたのかもしれないが、普通の人より少しだけ回転の速い頭しかもっていなかったアッシュは、白旗を上げることにしたのだ。
「何でこんなことになっている」
「音素が余った」
 端的な答え。アッシュは頭を抱えたくなったが、それでもさっきよりヒントが増えたためか、何とか答えらしきものにたどり着く。
「…つまり、俺の復活のために俺の中に入る筈だったレプリカの音素が、予定より俺の体が復活するのが早かったせいで余ったのか?」
「まあそんなところだ」
「それがなんでこんなのになっているんだ」
「いや、面白そうだったから」

 とりあえずアッシュは第七音素のかたまりを殴るという、おそらく人類初の快挙でありかつ果てしなく不毛な行為をとりたくなったのを、すんでのところで自制した。


 そして何とか二人揃って地上に戻してもらったわけだが。
 目覚めた彼のレプリカは、自分の小さくなりすぎた体を見下ろして、泣いた。本気で泣いた。
 あんまりに泣くものだから、アッシュはかなり慌てた。
 慌てたせいで、彼は普段なら面倒くさがってしないであろう約束までした。
 曰く。

「俺が小さくなったことは誰にも言わないこと」

 それはイコール、ルークの帰還を誰にも言わないということで。
 …一ヶ月もの間、それをあの死霊術師相手に隠し通しただけでも快挙だと、アッシュ自身は投げやりに思っていた。

 死霊術師は相変わらずの凄まじい笑顔を浮かべたまま、アッシュの手から赤いかたまりを奪い取った。
「ほう、これはこれは面白いことになってますねえ」
 ざわり、とアッシュの背筋に寒いものが走った。
「ぜひ解剖してみたいものです」
「じぇっじぇっじぇいど?!」
「おや、しゃべれるんですねえ。これは興味深い」
 にこにこと意地の悪い笑みを浮かべたまま、ジェイドはルークの首根っこを掴んだまま、自分の目線の高さまで持ち上げた。
「なるほどこれでは一ヶ月も逃げられても仕方ありませんね。そのお礼と言ってはなんですが、ぜひ研究対象にさせていただきたいものです」
「お前、それちょっと冗談に聞こえないんだけど?!」
「ええ当然です、本気ですから」
 ルークは声にならない悲鳴を上げて、アッシュの方に顔を向けた。
「助けてアッシュ!」
「…断る」
 言ったついでに顔まで逸らしてしまったアッシュに罪はあるまい。何せルークの背後には、恐ろしいほど目の据わった笑顔を浮かべるジェイドがいたのだから。
 はくじょうものー! とルークがさらに罵声を上げるが、アッシュは無視を決め込んだ。
 触らぬ死霊術師に祟りなし、君子鬼畜眼鏡に近寄らず。心の中で言い訳を試み、そして無理矢理納得した。
 ジェイドはぎりぎりまでルークに顔を近づけ、低い声で笑う。
「恋人から一ヶ月も逃げてくださったお礼です。今夜は寝かせませんよ」
「ぎゃー!」
 二人の甘い(?)雰囲気にいたたまれなくなったアッシュは、黙ってルークの悲鳴の余韻の残る部屋から出て行った。そしてふと気がつく。
 ルークの身体は現在手のひらサイズだが、あの眼鏡は一体どうやって『寝かせない』というそれを実行するつもりなのか。
 それとも自分が穿った見方をしているのだろうかと軽く頭を悩ませつつ、アッシュはせめてもの餞として、二人の部屋のドアのところに「就寝中」の札をかけておいてやった。

 根本的に視点が間違っているのだと突っ込むことのできる人間は、しかし幸か不幸か、その場にはいなかったのであった。





元ネタは天原ふおん先生の「ゆめくいダンジョン」なんですけどあんまりに違いすぎるのでキャスティングはなしで。
個人的にメレンゲ嬢と愛ちゃんが好きです。
どうでもよい話なのですが「天使のドッペルゲンガー」の大海とツガルはとてもガイルクに変換しやすくて楽しいです。


2006/7/29

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