ある不幸な言い間違いと
「お前が欲しい」
致命的な言い間違いに、その場の空気は凍りついた。
言われた張本人はまず、そのただでさえ無駄に大きな瞳を、さらに大きく見開いて。
そして全力で後退した。
続いて濃い金色の髪の長身の男が、人差し指と中指でくいと眼鏡を押し上げて一言。
「…変態ですね」
「違う! 俺がほしいのはそいつの力であって、そいつ自身じゃ――」
必死の弁解に、さらに冷たい侮蔑の瞳が向けられる。
「ほう。彼の家の権力が目的ですか。それはそれは」
局地的に極寒の気候になったその空気に、アッシュは額を押さえた。
(ああ畜生! なんでこんなめんどくさいことになったんだ!)
それもこれも全部あの屑が悪い――剣呑な視線を自分と全く同じ顔(の筈である。何せドッペルゲンガーなのだから)に向けて、アッシュは告げる。
「そいつの身体の中にある俺の力を返してもらうだけだ、そいつ自身に用は――」
「ほほう。因みにその方法とは?」
「そりゃ当然、そいつの中に入り込んで…」
そこでアッシュは自分が犯したもう一つの失態に気付いた。絶対零度の赤い瞳がこちらを睨みつけている。
形の良い唇の端が吊り上がり、ジェイド・カーティスは薄い笑みを浮かべた。
「それは面白いことを聞きました。…ですが私も、変態を野放しにするほど人でなしではないのでね」
しゅ、と音を立てて、男の手のひらの中に長槍が出現する。どうやら魔導師であったらしい。
酷薄な笑みで、槍の穂先をアッシュに突きつけ、ジェイドはその先に魔法陣を紡いだ。
「じぇ、ジェイド?」
何をするつもりなのかと顔を引きつらせたルークのほうを見ないままで、男は言った。
「下がっていなさいルーク。身の安全は保障しませんよ」
言葉が途切れるなり爆音が轟く。
アッシュはそれを何とかバックステップでかわしながら、必死にこの状況を打開する手段を模索していた。
「ローレライの剣よ!」
自分の掌の中に落ちる重みを握り締め、アッシュは地面に着地する。
煙が収まると、喰えない笑顔の男が槍の構えを解かないまま、ルークを背後に庇って立っていた。
かけられた言葉には険悪な響きがあった。
「しぶといですねえ。まるで害虫のようだ」
「うるせえよ。第一貴様に何の関係がある」
同様に剣を構えたままのアッシュが問えば、ジェイドはさらに笑みを深くした。
「関係大有りですよ。彼は私の婚約者ですからね」
その返答を聞いた瞬間、アッシュの肩がこけた。その隙を逃さずに、ジェイドは焔の魔法を放ってくる。
次々と自分に向かってくる火球をどうにかかわしながら、アッシュは怒鳴った。
「貴様はふざけてるのか?!」
ジェイドはくつくつ笑いながら、薙ぎ払うように槍を振るって見せた。すんでのところでそれをかわすと、ジェイドは笑顔で言ってのけた。
「いえまさか、本気ですよ? 彼は私の封印を解いてくださいましてね。その場で彼を食べてしまっても良かったんですが、その際私との婚約の証であるローレライの宝珠を体内に取り込んでしまったので、こんなことになっているわけです」
さりげなく聞き流せない内容が混じっていたものの、アッシュは嫌そうに顔を歪めるだけで留めた。魔族の考えていることはわからない。自分が似たようなものであることは棚に上げ、アッシュは自分と同じ顔をした青年の方に向き直った。
「てめーちったあ抵抗しやがれ!」
「できりゃとっくにやってるよ!」
その声が半分涙声なのは、おそらくアッシュの聞き間違いではないだろう。彼は低く舌打ちした。
魔王を相手にするには、今の装備では少し心もとない。
「ちっ、厄介なもん解放しやがって…!」
そのままルークに向けて、腰に差していた投剣を数本放つ。しかしそれは標的には当たることなく、ジェイドの差し出した槍とぶつかり金属音を立てて地面に墜ちた。
そしてもう一度その槍がアッシュに向けられるその瞬間には、彼は既に転移の呪文を唱え終わっており、空間のゆがみに姿を消す前にこう叫んだ。
「首を洗って待ってろ、魔王ジェイド! まずはてめえを血祭りに上げて、それからルークを奪ってやる!」
そして音も無く彼はその場から消え去った。
最後に残した、再度の言い間違いに気付くことも無く。
「…やはり変態ですね」
ジェイドはずれた眼鏡を押し上げながら、ぼつりとそんなことを呟いたが。
それはてめえも一緒だろうとルークが心の中で吐いた悪態には、彼は気付くことはなかった。
「ある不幸な言い間違いと変態の関連性について」
アルル:ルーク
サタン:ジェイド
シェゾ:アッシュ
ちょっと調子に乗りすぎた。後悔はあまりしていない(駄目)
2006/6/25