世界を贖う対価について
「レプリカというのは便利なもんだな。必要とあらば死ねるんだから」
向けられた痛烈な嫌味に、少年たちはは何も答えなかった。
差し出された宝珠を受け取りもせず、同じ顔の男がさらに続ける。それはまるで縋っているようにもみえるとガイラルディアは思った。
「てめーなんかに、俺の七年間が奪われたかと思うと反吐が出そうだ」
「…ならお前が死ねよ」
頭を突然石で殴られたような顔をして、赤い髪の男が目を見開く。とはいえ、自分も同じような顔をしている自覚はあった。
ルークはアッシュを悲しそうな眼で見た。
「譜陣の上に立ってみろよ。それが反応したらお前は死ねる。やってみるか」
そういってルークは、確信に満ちた動作で、先ほどまで自分が乗っていた台を示して見せた。
アッシュは飛び切りきつい瞳でルークを睨み、わざわざ彼を押しのけてその上に乗った。ガイは譜陣がアッシュに反応してくれることを心から願った。
しかし実際は、淡い光は消えてゆき、そしてぽつりとルークが言った。
「…死ねないだろ? ここはそういうシステムなんだ。俺でしか動かない。レプリカルークとレプリカイオン――俺とイオンでしか動かない。そういう風に出来てる」
みるみるうちに顔色を変えたアッシュの拳が振り上げられた。
諦めたように――ルークは瞳を閉じる。
肉が骨を打つ音がした。かつん、と硬質な音を立てて、ローレライの宝珠が転がる。
足元まで転がってきたそれをガイラルディアは拾い上げた。そしてもう一度見上げれば、アッシュは既に緋色の髪をなびかせ、足音も荒く部屋を出て行こうとしている。
(これを最後にする気なのか、ルーク)
心の中の問いに、帰る言葉があろう筈も無く。
隣から進み出る男を、ガイは冷たい眼で見やった。
譜陣が淡い残滓を残して消えていく。
緑色の髪をした少年は、その光と同質の儚さをその中に孕みながら、優しげに微笑んで見せた。常であれば見るものを癒すようなその笑顔には、しかし今は多分に自嘲の色が含まれている。
ここには三人しかいない。自分と、少年と、それからもう一人。ガイはふるりと力なくかぶりを振った。たった三人。そして今からそのうちの一人も、この場所から追い出されるのだ。
まるで祭壇のようにそびえる巨大な音機関。それの発する青い光の明滅に、周囲をぐるりと囲む長椅子が浮かび上がる。
先ほどから黙ったまま、音機関の前に立っているもう一人は、すでにこちらを見ようともしない。譜陣の上に立つ彼の赤い髪は光に照らされ、不思議な陰影を描いていた。
「…ガイも。早く、外に行ったほうがいい」
振り向かないままルークが言った。その声には震えも脅えも何も感じ取れず、その事にガイはかすかな苛立ちを覚えた。
「お前を置いていけるかよ」
「邪魔なんだ。早く行けよ」
温度すら感じさせない返答に、ガイはさらに言葉を投げつけた。
「どうしてお前が死ななきゃいけない――」
「聞き分けないこと言うなよ」
「まだたったの七年しか生きてないのに」
「イオンはまだ二年だ」
「それならなおさらだ。どうしてお前達を犠牲にして、生きて行かなきゃならないんだ!」
駄々をこねる子供のような自分の行動を自覚しながら、しかしガイにはそれをやめることは出来なかった。
自分がいとおしんだ子供、七年間育ててきた子供。たとえ最初は殺すつもりだったとしても、こんな形で死なせることを望んでいたわけではなかった。
「どうして――」
「ガイ」
叫びに割り込んだのは、緑色の髪の少年の、落ち着いた声だった。
「これだけの椅子が一体何のために用意されているのか。その意味を、考えてください」
イオンは困ったように笑った。その足元にもルークと同じように、薄青い譜陣が描かれている。
「瘴気を消すにはもう、これしか残っていないんです」
「だからって――」
「ガイ。いいかげんにしないか」
「ルーク!」
非難を込めて名前を呼べば、赤い髪がさらりと揺れた。青に照らされた翠の瞳は、病人のように生気がない。
初めてこちらを見たルークの顔には、まるで人形のように表情がなかった。
「…この世界を。死なせるわけには行かないんだ」
「お前がいない世界になんか、意味は無い!」
ルークは目を伏せた。そして告げる。
「それでも。…この世界に生きているのは、俺とお前だけじゃない。たくさんの人が生きてあがいて…それを奪うことは、俺には出来ないよ」
「そんなものどうだっていい! 俺に必要なのは、お前なんだルーク!」
その叫びを聞いて――
ルークの顔に、はじめて表情らしい表情が生まれた。彼は困惑したように微笑み、つとガイから顔を逸らす。
「…ありがとう」
小さく呟かれた言葉こそが別れの合図なのだと、唐突に理解したガイは。
しかし、その場から動くことは出来なかった。
いくつもの譜陣が展開していく。指数的に増えていくそれに阻まれ、ガイはルークの姿を見失った。
自分が放り出された場所には、見覚えのある面々が既に揃っていた。
最初に部屋から追い出されたティア。次はアニス。その次はナタリア。アッシュはルークを殴りつけ、自分から出て行った。ジェイドは…まだ目覚めないのだろう。彼の頭のすれすれのところをルークの放った超振動が通り過ぎていったのだから、それも当然かもしれなかった。それがただ外れただけなのか、わざと外したのか――それを知る術はたった今、永久に失われようとしている。
彼らは唐突に現れた自分に驚くことなく、逆にこちらに食って掛かってきた。
「ルークは?!」
「イオン様はっ?!」
アニスとティアが同時に聞いてくる。その瞳の中にある絶望に、気付かなければ良かったと自分を呪った。
ガイは力なくかぶりを振る。二人の落胆が伝わってくるが、そんなものに構う余裕は無かった。
レムの塔から光の柱が立ち上り、青く空が晴れていく。
最期をすら見取ることを許されず、あの場所からこんなに離れたところで、ただ茫然と空を見上げるしかない自分が酷く厭わしかった。
(ちくしょう)
(畜生――)
罵倒は誰に向けたものなのか。ルークか、イオンか、世界か、それとも――自分自身にか。
わからないまま、呟いた言葉は、無力なままで世界へと溶けた。
オーフェン:ガイ
ロッテーシャ:ルーク
アルマゲスト:イオン
コルゴン:ジェイド
ハーティア:アッシュ
もはやあとかたもなし。
2006/6/25