ひとさらい
ジェイド・カーティスは自分の戻った日付を見て、それからすぐに行動を起こした。
彼は大胆にも、敵国たるキムラスカ=ランバルディア王国の首都バチカルの、空に最も近い階層に秘密裏に赴き、そしてファブレ家の一人息子を誘拐した。
ファブレ家の一人息子、公式には十歳の彼は、しかし話すことも出来ないどころか、一人で立つことすらできない、生まれたばかりの赤子同然だった。暁の空のような色の髪をした、生まれたばかりのレプリカは、眠っている間にあっさりとジェイドに捕獲され、海を越えて敵国の帝都に連れ去られた。
ジェイドは海を渡る前に彼の髪を切り、金色に染めた。自分と同じような色合いにすることで、親子のふりをする心積もりだった。そしてそれはジェイド自身も驚くほどうまくいき、かくして彼は、自分のいとし子を手中に収めることに成功した。
たった一つの計算違いを除いては。
ひとさらい
マルクトは皇帝が代替わりしたばかりなので国内がまだ少し慌しい。そんな時期に二週間ばかり死霊使いの姿が見えなかったため、周囲は一体何が行われているのかと戦々恐々としていた。そんな時期だったので、有力貴族のうちの何名かが不自然に死んだとき、その噂は疫病のように素早く広がった。特に酷く殺されたのは、身辺がどこかキナ臭いと言われていた者が多かったために、皇帝の命でジェイド・カーティスが粛清のために出向いたのだという推測は、瞬く間に事実として受け入れられた。
そしてそれは確かに、半分は事実であった。
ジェイド・カーティスが彼らに制裁を下す任務を受けたのは、彼らが秘密裏に独自に生体レプリカの研究を進めようとしていたからだった。しかしそれは見せしめのために何人かは吊るし上げてもよいという許可であって、法をわざと曲げて殺してもよいということではなかった。
だからジェイド自身は殺してはいない。彼らを殺したのは、彼らの口から漏れてはまずい何かを握っているものたちだ。その尾を追っていくとキムラスカにたどり着いたので、彼はこれ幸いとばかりに皇帝に許可を取り、合法的に敵国内に侵入した。
尻尾の先はとうの昔に見当がついていた。しかしそれを今叩くのは不可能であると言うことも、彼にはわかっていた。
だからジェイドは、純粋にルークをさらうためだけに、キムラスカに潜入した。
幼いルークは、大層可愛らしかったと同時に、どうしようもない悪ガキでもあった。書類はめちゃめちゃにする、本棚の中身を引きずり出す、あげくにふらふらと出歩いてはあちらこちらで迷惑をかける。体が大きい分、普通の二歳児や三歳時ごろの子供が同じ行動をするよりも、被害ははるかに深刻であるようにジェイドには思えた。
しかし大きい分だけ飲み込みも早かったので、一度怒られたことはあまり繰り返さなかったのが、救いといえば救いであろうか。当時十四かそこらのガイがこの悪たれの面倒を見ていたのかと思うと、ジェイドは彼に同情せざるを得ない。しかしやはりそれではカバーしきれなかったうえに様々な不幸な要因が重なった結果があの、髪の長かった頃の我儘ルークであるということに思い至り、教育というものの重要性を改めて実感させられた。
ジェイド自身は、自分は本来ならば子育てには全く向いていない性格だと思っていた。基本的に冷酷で放任主義なので、ある程度まで面倒を見たらルークの好きにさせてやりたい、好きなように人生を選ばせてやりたいと考えていた。最後まで面倒を見る気はない。というより不可能だ。何故なら彼の人生が終わるまでジェイド自身が生きているというのは年齢差から言ってもまず無理だろうし、ましてや、恨み嫉みを山ほど買っている、死霊使いという二つ名も貰ってしまっている軍人なので、みすみす殺されてしまう気はないけれども、もしもということも有りえる。
ルークがよほどの早死にをするなら話は別だが。
ジェイドはかつての旅を思い出すたびに、苦い後悔に付きまとわれる。なので今回はどうしても何を犠牲にしても、彼を生き残らせるつもりだった。
これがただの自己満足だということはとうに理解していた。それでも、この衝動を止める術を、ジェイドは持ち得なかった。
ルークは順調に真っ直ぐに育っていった。育てたジェイド自身も驚くほどに。
彼はジェイドが数年前に亡くなったとある女性との間にもうけた子供として世間に通っていたし、誰一人それを疑うものはいなかった。たった二人の例外を除いては。
その例外のうちの一人、ジェイドの親友でもあり、マルクトの皇帝でもあるピオニーは、しかしそのことについて触れることはなかった。はじめてルークと対面させたときに、ちょっとジェイドと顔を見比べて一言、似てねえな、と呟いただけだ。そして彼は何ともいえない笑みを浮かべた。年齢に合わず真っ直ぐで幼すぎるルークを見て、おそらく彼は一瞬でその正体を見抜いたのだ。
ジェイドは何も言わなかったし、ピオニーも何も聞かなかった。しかしもしルークが、キムラスカのファブレ家の一人息子のレプリカだと告げていれば、状況は全く違っただろう。
ジェイドはルークをもう一度喪う気はなかった。ルークの超振動が他者に知れれば、それは不可能になる。知れた相手がマルクトの皇帝であればなおさらだ。
ルークの命を再び世界のために差し出させるつもりは、ジェイドにはさらさら無かった。たとえ、それがルークの願いだったとしても。
この事実はジェイドだけが知っていれば良かった。秘密を隠し通すのは、得意だった。
ジェイドがルークを浚ってからというもの、キムラスカとダアトの関係は悪化の一途を辿っていた。
ルークが浚われた日、これは一度目も二度目もそうだが、ヴァン・グランツの姿がバチカルにあったこと。コーラル城にファブレ公爵の部下が調査に行った際に発見されたレプリカ装置に、ルーク・フォン・ファブレのレプリカの記録が、迂闊にもまだ残されたままであったこと。そして最後に、ダアトの奥深く、神託の盾騎士団本部から、本物のルーク・フォン・ファブレが逃げ出し、たまたま巡礼に訪れていたキムラスカ貴族に保護されたこと。それらのことが重なり合って、また、ルーク本人の証言もあり、反逆者ヴァン・グランツは斬首、大詠師モースも資格を剥奪の上追放されることになった。
事実が明らかになるにつれ、人々の間には、腐敗したローレライ教団を厭い、預言を嫌う声も上がるようになった。ジェイド自身も経験しているように、預言は外そうと思えば外すことができる。全てを引っくり返すのに払う対価は並々ではないが、不可能なことではなかった。
そもそも、この騒動の発端であるレプリカという存在すら、預言には存在していないのだ。人々がそれに気付いたときには、世界はもう、違う流れを進もうとしていた。
ルークはジェイドの子供としては、まずまずの評価をもらっていた。父親が人間離れした人間であったために、彼は普通の人間の範囲で優秀であったことがかえって幸いだったのか、周囲とはそれなりにうまくやっているようだった。
礼儀正しく真面目で優しく、見目もまあ良い方である。頭もいいが、どちらかというと身体を動かすことを好む子供だ。
完璧と言えば完璧すぎるほど、文句無く良い子と言っていいはずなのに、ジェイドの中では何故か、彼に対して違和感が常に付きまとっていた。否、本当は理由はわかっている。
ほとんど同じ外見をしていながら、彼が本当に『ルーク』ではないからだ。
ジェイドの望んでいたルークは、ジェイドが共に旅をしたルークであって、ジェイドが育てた『ルーク』ではなかったからだ。
ジェイドは二度と、ジェイドが愛したルークに出会うことはない。
それは既に解りきったことであるはずだった。ジェイドが愛したルークはとうの昔に死んでしまった。今目の前にいる『ルーク』は、確かに同じような見た目をした同じような存在ではあるけれど、全く違う生き物だった。
もちろんジェイドはジェイドなりに、この『ルーク』を愛していた。しかしその愛情は、彼がかつてもう一人のルークに向けていたものとは、種類も熱さも全く違う。
ジェイドははじめ、同じルークを育てたならば、もう一度あのルークに会えるような、そんな幻想を抱いていた。しかし幻想は幻想でしかなかった。そのことに気がついて、彼は突然、今まで感じたこともないようなどうしようもない孤独に襲われた。
それを解決する手段はない。そのこともまた、わかりきったことだった。
そうしてたった一つの計算違いは、今日もジェイドの目の前で、彼の望んだ人間と同じ顔で笑っている。
2006/12/10