時を駆ける中年
 ジェイドはまじまじと、目の前でいかにもかったるいと言いたげな態度で歩いている、赤橙色の髪の青年を観察した。
 いつも半分しか開いていないような眠たげな目つき、基本的に何事にもやる気のない性格。後の彼自身も散々こき下ろした、自分も一度は見捨てたことがある彼にもう一度逢うことになるとは、何とも奇妙なものだった。
 まるで別人のようだ、とジェイドは思った。
 自分たちは、そしてルークは、もう一度彼を殺さなければならない。永遠に葬り去られる予定の過去のルーク。
 そのことに何の良心の呵責も覚えずに、ジェイドは冷たく凍った眼で青年を観察し続けた。

 ジェイド・カーティスは、その35年の人生ではじめて、人生をやり直すことに成功したのだ。



時を駆ける中年



 もう何度目になるかわからない違和感を感じながら、ジェイドはルークの観察を続けた。
 未来を知っている分自分はヴァンの先手を取れる。一番いいのはバチカルに帰る前に事故に見せかけてルークを死なせてしまうことだっただろうが、何故かジェイドにはその手段を選ぶことは出来なかった。
 カイツールに着く前に彼を死なせてしまわなければならなかったのに、ジェイドにはそれをすることは出来なかった。
 ルークは後の彼が言うように、そして自分たちも散々けなしたように、無知で馬鹿なお坊ちゃんであった。そうであり続けた。そうであってほしかった。
 しかし全くの悪人というわけでもなかった。無神経にしか思えない素直さの正体は、彼は七歳のこどもならではの純粋さで、自分に向けられた視線をただそのまま相手に返しているだけだ、ということに気がついた。
 彼がおかしくなったのは、バチカルについて後、ヴァンに合流した後だ。おそらく(と言っても内容の予想は既についているが)、彼が何か余計なことを吹き込んだせいで、ルークの中で何かおかしなスイッチが入ってしまったようだった。
 ジェイドのよく知っている、変わった後のルークもそこだけは同じだ。彼の短絡的な思考は何かのきっかけですぐに暴走しやすく、しかも頭の回転は悪くないためにおかしな方向へ進む速度も速い。レムの塔のときもそうだった、と思い出して、ジェイドはこみ上げる苦いものを口の中で噛み締めた。
 ルークをアクゼリュスに行かせるわけにはいかない。しかしそれをごまかし、ルークをうまく騙す方法を、今のジェイドには考え付けなかった。
 せめて自分がイオンを連れ出す前に逆行できていればよかったのに、と歯噛みしても、一度起きたことを変える手段はない。
 ナタリアとアニスに周囲でぎゃいぎゃいと騒がれ、迷惑そうな顔をしたルークはふとジェイドのほうに視線を向けた。しかしすぐにふいと興味なさげに顔を背けたルークに、ジェイドはすこし傷ついた自分を自覚して愕然とした。なんだこれは。
 自分を挟んで冷たい恋の鞘当ともいえないものをしている女二人に、ルークは迷惑そうな顔をしつつもどうということもなさそうに好きなようにさせている。
「ルーク! あなたは一体、私とこの小娘と、一体どっちを選びますの?!」
「こぉんなお姫様より、私のほうがいいですよね〜、ルーク様!」
 ずいと迫られて、ルークは本気でうっとうしそうな顔をした。
「はぁ? そんなの、どうだっていいだろ」
「どうだっていいとはなんですか! これは重要なことですのよ!」
 言葉の選び方を間違えたせいでさらに噛み付かれる羽目になったルークは、不愉快そうな顔をして二人から目を逸らした。
 馬鹿だな、と思いつつも、ジェイドは何のフォローも入れるつもりはない。ガイが騒ぐ三人の向こうで、同じように冷たい眼をしてじっとルークを観察していた。
 堪忍袋の緒がそろそろ限界に達してきているらしいティアが冷たい横槍を入れるまで、あと何秒くらいだろうか。
 限界まで凍りついた声が三人の会話を中断させるのを聞き流し、ジェイドは考える。
 ルークはすげない態度は取るものの、決して彼女達に冷たいわけではない。ティアはともかく、まだ幼いこどもであるアニスや、戦闘に慣れていないナタリアには、さりげなく庇うような姿勢を見せることがある。その後にむけられる彼女達の礼に対する態度は最悪だが、行き過ぎた照れ隠しと見えないこともない。
 ガイやイオン、ティアに対しても、きまぐれのように気遣いを見せることがある。そこまで考えてジェイドははたと気がついた。自分が彼に気遣われたのは、封印術の一件だけだ。
 少なくとも彼にとっては、記憶を奪った憎い敵国の軍人であるからして仕方ないのだろうし、素直とは言いがたい自分の性格を熟知しているジェイドは、仕方ないだろうと思いはするのだが、しかし何となく納得いかない。
 そう思ったら、勝手に口から言葉が滑り出ていた。

「ルークは私のことが嫌いですか?」

 一瞬場の空気が凍った。
 何を言っているんだこいつは、という視線が向けられる。しかし一番衝撃を受けているのは、それを言ったジェイド自身であった。
 どうフォローしたものか。それともいっそ放っておくか。ジェイドが口を開きかけた瞬間、「はぁ?」とルークが素っ頓狂な声を上げた。
「何言ってんだ、おっさん」
 見事に思考と口が一直線に繋がった台詞が飛び出し、隣のアニスが「この馬鹿坊ちゃんは!」といわんばかりの視線をルークに向けていた。
 ジェイドは飛び切りの胡散臭い笑顔を浮かべた。
「いえいえ。先ほど私を見るなり世にも嫌そうな顔をして目を逸らしてくださったので、これはよっぽど私のことを嫌っているのだなあと思ったら悲しくなりまして」
 白々しい言葉が予定通り嘘っぽく響き、ルークは心底意外だと言いたそうな顔をした。非常に嫌そうな顔だった。
「んなことしてねーし、第一お前そんなこと気にするような奴じゃないだろ」
 あっさり言われた台詞にさっくりと傷つけられたプライドがあることに驚きながら、ジェイドはじりっとルークに近づき、そして胡散臭く傷ついたような顔をした。
「酷いですねえ。私はこれでも一応人並みの情は持ち合わせているつもりですが?」
 うわーうそくせえといわんばかりの顔をするルークに、ジェイドはにっこりと微笑んだ。
「本当ですよ。傷つきました。私のハートは粉々です」
「35歳がハートとか言うな気持ちわりぃ」
「さて、これは一体どうやって償っていただきましょうかね」
「お前は人の話を聞け!」
 さんざんからかわれてだんだん頭が煮えてきたらしいルークに、ジェイドは思いつきと好奇心でこう聞いた。
「そうですね。あなたが心底好きな相手でも聞いたら、この痛みも少しはおさまる気がするのですが」
 そう言いながら、ジェイドはアニスとナタリアのほうにちらりと視線をやった。正しく意図を理解したらしいアニスが、きらきらとした目でルークを見上げている。何と言う変わり身の早さだ。その向こうでは急な話の展開にいまいちついていけない、というかいきたくないらしいティアとガイが、それでも可哀想なものを見る目でルークを見ていた。
 ルークはしばらく言われた内容を吟味するようなそぶりを見せた後、今更何を言っているんだこいつは、とでも言いたげな表情でこうのたまった。

「そんなのヴァン師匠に決まってるだろ」

 あんまりに当然のように胸を張って言うので、何か突っ込む気にもならず、そうですか、とジェイドは溜息をついた。ティアとガイの視線は、それは違うだろう、と、頭のかわいそうな子を見るようなものに切り替わっていた。
 またなにかぎゃいぎゃい言いはじめたナタリアとアニスに、心底面倒くさそうに対応するルークを見ながら、ジェイドはふと、先ほどの彼の返答は本当に本気なのかもしれないと思った。彼の言葉には、哀れなことに一点の曇りすら見当たらなかったのだ。
 そういえば後の彼は、見捨てられて屑と、出来損ないと罵られたルークは、それでもなおヴァンを好きでありつづけた。それはつまり――
「…聞くべきではなかったか」
 自分には到底、ルークを救うことは出来そうにない。結局そんな結論に達して、ジェイドは嘆息した。

 ルークに会いたい。




2006/9/18 ジェイドとルーク(ヴァンルク風味)

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