ア ザ ー ラ イ ト
 赤毛のこどもは膨れっ面である――というのはジェイドの推測に過ぎない。実際に視界に入るのはこちらを拒絶する背中だけだった。
 ジェイドは、ああめんどうくさい、と思った。何で私がこんな子供の面倒を見なきゃならないのか。第一これはガイの管轄だろう。私には関係ない。
 この鬱陶しい沈黙の部屋から抜け出して、今からでも酒場に行こうかと思う。それは案外いい思いつきのように思えたので、ジェイドは黙って座っていたベッドから立ちあがった。 ちらり、とルークを見る。あいかわらず背中は何も語らない。しかしジェイドが振り返ったのは、何もわざわざルークの様子を再確認するためではなかった。
「なんですか、ルーク」
 自分の軍服の、後ろに長いカラーの片方の端を、実年齢に対して十年分ほど大きいこどもの手が掴んでいた。
 ジェイドはまた、面倒くさいと思った。だから一体なんだというのだ。何が言いたいのだ。彼は自分に何を求めているのだ。
 …薄々わかってはいたが、それを認めることはジェイドの鋼の理性が許さない。
 ジェイドはため息をついた。
「だからなんですか、ルーク」
 何でもないならさっさと放せと言外に告げてやる。それでも子供は動かなかった。
 ルーク、もう一度非難するように名前を呼べば、赤い――それが何のためであるか、ジェイドにはわからなかったが――顔が、ぎろりとジェイドを睨みつけた。

「行くなよ」

 怒りを込めた一言。ジェイドはため息をついた。
「たったそれだけのために、あなたはさっきから拗ねてたんですか」
「拗ねてなんかねえよ」
「おや。では何故です?」
 そう聞いてやれば、ルークはう、とか何とか呻き声を発した。どうやら図星のようだった。
 ジェイドはにい、と口の端を吊り上げた。いつもの、胡散臭い笑顔、と呼ばれる類の仮面を被った。
「何故あなたに、私の行動を制限されなきゃならないんでしょうねえ」
 ルークはジェイドの紅い瞳をまじまじと見つめて、それから視線を床に落とした。

「…ジェイド、もてるから、嫌だ」

 しばらくの沈黙の後に返ってきた一言はそんな言葉で、ジェイドは思わずぽかんとした。




アザーライト




 そんなこともあったなあと思い返せるようになったのは、それから数ヶ月経ったせいだろうか。いつの間にかルークはジェイドの恋人という立場におさまっていた。
 その間には外郭大地が降下したりヴァンを倒したりと色々なことがあったのだが、そんな様々な紆余曲折の間でどうして恋愛なんかしている暇があったのか自分の心理が不思議でならない。
 案外吊り橋効果というのも馬鹿に出来ないかも知れないと思いつつ、ジェイドは旅の間に溜まっていた様々な仕事の片付けに追われていた。

「ジェイド〜」

 いつの間にやら自分の悪友兼主君が部屋に入ってこようとしていた。皇帝としての公務はどうした。そんな気持ちを込めて睨むと、その後ろには赤い髪の見た目青年中身少年がついてきていた。
「ジェイド、お前丸くなったなあ」
 ピオニーがつくづくと感心したようにそんなことを言ったので、ジェイドは、は? と間抜けた返事を返した。
 ピオニーはジェイドとルークを見比べ、やれやれとばかりに肩をすくめる。
「まさか俺のジェイドがこんなに丸くなる日が来ようとは」
 お前は偉大だ、といわれて肩をたたかれたルークも、はい? と首をかしげる。その姿勢が若干及び腰なのは、傍に苦手なピオニーがいるせいか。
「陛下、誰が誰のなんですって?」
 よりによって独占欲の強い(しかも本人は自覚のない)ルークの前でそんな地雷を踏むような真似はやめていただきたい。そんな意味を込めてみたのだが、ピオニーにはさっぱり通じていなかったようだ。
「うん? 事実だろ?」
 ピオニーはそう言って、なあルーク、と同意を求めた。だからやめてくれ。後で機嫌をとるのは自分なんだわかってるのかこの馬鹿皇帝。
 しかし怒り狂うと思われたルークはジェイドの予想に反して、そうですね、と頷いた。これには流石にジェイドもちょっと驚いて、まじまじと自分の恋人を見つめる。
「…ルーク? あなた何か悪いものでも食べましたか?」
「え? いや、さっき陛下と一緒にガナッシュショコラは食べたけど」
 でも別にへんな味はしなかったですよねとルークはピオニーを見つめた。ピオニーはああと頷く。お前は他人の恋人と何をやっているんだとジェイドはちょっと面白くない気分になったが何も言わなかった。ルークもルークだ。そんな怪しいおじさんについていってはいけないとガイに教わらなかったのか。…教わらなかったんだろう、軟禁されていたわけだから。しかしもう少し警戒したってよさそうなものではないか。自分のときには何か混ぜられそうだの何だの言って避けたくせに。
 考えれば考えるほど、ジェイドの機嫌は降下の一途を辿る。ピオニーはそんなジェイドをしばらく観察し、そしてははんとひとり笑いを浮かべた。

「ジェイドお前、ひょっとして妬いて欲しかったのか?」

 ジェイドはその言葉にほんの少し反応が遅れた。それが命取りだった。
 ルークはぎょっとしたように目を見開いた後、そうなのか? とジェイドのほうに訊いてきた。そんなこと訊くんじゃない。
「まさか」
「ジェイド。顔、引きつってんぞ」
「余計なこといわないでください陛下」
 にっこりと笑みを浮かべていってやれば、おお怖と彼は後ずさって見せた。
 一気に冷えきった部屋の中、ルークが首をかしげる。

「っていうか、何で俺が陛下とジェイドのことで妬くんだ?」

 ピオニーとジェイドは絶句した。
 だいいち男同士だろ、というルークの冷静な突っ込みは、彼らの耳に届いていない。
 ピオニーがジェイドにアイコンタクトを送る。曰く、お前本当に愛されてるのか?
 ジェイドがそれに返事をした。曰く、私が知りたいですよ。
 ピオニーは引きつった笑顔で、じゃあ何で妬かないんだ? と逆にルークに聞き返した。
 ルークは、さも当然のことを聞かれたように不可解そうな表情をして答えた。
「だって陛下とジェイドは親友なんでしょう?」
 いやそら確かにそうだけども、と口ごもりながら、ピオニーはジェイドのほうに視線を向けてきた。私に聞くな振るな、むしろ何も聞きたくない。
 しかしルークは平然と続けた。
「俺が陛下とジェイドの関係に妬くんだったら、俺とガイの関係にも、ジェイドが妬かなきゃいけないってことになるじゃないですか」
 ピオニーはあっけに取られて、それからまじまじとルークの表情を見つめた。それからもう一度ジェイドのほうを見てきた。彼の言いたいことが手に取るようにわかる自分が嫌だとジェイドは思った。
 お前しっかり妬いてるよな、ガイに。彼の視線はそういっていた。ジェイドはそれを黙殺した。そしてこれ以上しゃべらないでくれとルークに願った。
 ピオニーは出会ってからはじめて、ジェイドに向けて哀れなものを見るような視線を向けてきた。非常に癪だったが完璧に無視した。

「俺とジェイドの間に、お前では入り込めない場所があるんだ。面白くないと思わないのか?」

 ジェイドの持つペンがぴしりと音を立てた。ジェイドは何事もなかったように、そっとルークの表情を窺う。
 ルークはしばらく不可解そうな顔をしていたが、やがて不愉快そうな表情になった。
「そりゃ面白くはないですけど。でも、俺がほしいのはそっちじゃないからいいです」
「そっちじゃない?」
 ルークはこくんと頷いた。

「だってジェイドが陛下に向けてる感情って、ガイが俺に向けてくるのと同じような…えーと、忠誠? とか、友情とか親愛とか、そういうのでしょう?」

 ピオニーとジェイドは思わず顔を見合わせた。忠誠? そんなもんがあるのか? とピオニーが言外に聞いてきた気がしたが、ジェイドはまた無視した。無いわけでもないが、何故わざわざこのタイミングでそれを言ってやらなければならないのか。
 ルークはほにゃりと笑ってみせた。
「俺がジェイドから欲しいのは、そういう感情じゃないから。だから俺は陛下とジェイドにはあんまり妬けないです」
 それに、そういうのはガイで間に合ってるし。そう言い切った子供に、ピオニーはきょとんとして、それからくつくつと喉の奥で笑った。
 ルークの朱色の髪をぐしゃりとなでて、ピオニーはジェイドを揶揄するような表情を浮かべる。
  「ルークのほうがジェイドよりも大人だなあ」
 笑い含みにそう言われ、ピオニーの手に迷惑そうな顔をしていたルークは、はあ? と胡乱な視線をピオニーにやった。
「陛下。仕事が呼んでますよ」
「えー」
 割って入ると、ピオニーはつまらなそうに口を尖らせた。30を半ばも過ぎているくせに、あんたは一体幾つの子供ですか。
「何なら私から言って、誰か迎えの者を寄越させましょうか」
 そう言いながら椅子から体を起こそうとすれば、ピオニーはああわかったわかったと面倒くさげに答えた。何て皇帝陛下だ。
「ま、これ以上長居して馬に蹴られたくも無いしな」
 そんなことをわざわざ嘯いてみせるので、ジェイドはあんたなんかブウサギに押し潰されてしまえばいいんですと返しかけてやめた。そんなことになったらかえって喜びそうだ。というかむしろ現状はそう変わらない気もしなくもない。
 そしてピオニーは去り際にルークの頭を抱いて何かを囁いた後、そのつむじに唇を落として言った。
「じゃあまたな、俺のルーク」

 思わずエナジーブラストの詠唱を始めようかと考えた自分は多分悪くない。




2006/8/17 ジェイルク+ピオニー陛下












「しかしルーク。さっきのはあんまりいただけませんねえ」
「は? 何でだよ」
「私が陛下に向ける感情を、ガイがあなたに向けるのと一緒にしないでいただきたいものです」
「え? ああ、ごめん」
 素直に謝ったルークは多分気がついていないのだろうとジェイドは思った。といっても敵に塩を送るつもりも無いので黙っておくが。
(あんまり妬かない、か)
 にたりと口元にあまりよろしくない笑みを浮かべるジェイドに、ルークは本能的に危険を察して、二、三歩程後ずさった。
 ジェイドはにっこりとルークを見つめた。
「そういえばルーク、さっき去り際に、陛下に何を言われたんです?」
「え? …ああ、年の割りに大人気ないおっさんが苦労をかけるな、って」
「…」
「ジェイドと陛下って、親友って言うか、兄弟みたいだなって時々思うよ…」

 どことなく憮然としたジェイドが、それでもルークを腕の中に閉じ込めにいったのは、また別の話だ。


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