ひ と で な し の 恋
苦痛、盲目、信じたいもの
「見えてきたな…」
ドーム状の都市が視界に入って、ルークはほっと息をついた。
「そうそう、この丘を越えたらあと一息! …で、それまでもちそう?」
ルークは苦笑した。かなり苦味の方が強かった。
ダアトに向かうにつれて、ルークの体調は悪化の一途を辿っていった。
酷い頭痛と眩暈に耐えて歩く。戦闘などできるわけがないから、ここまでの道のりはずっと、少女の持っていたホーリィボトルに頼り切っていた。
「まあ、あとこんだけならなんとかなる…か?」
少女が心配そうにルークの顔を覗き込んできた。黒いツインテールがふわりと揺れるのが、いまひとつ焦点の合わない視界の端に映る。
「ちょっと…ほんとに大丈夫? 顔色真っ白だよ?」
「…悪いけど俺、今、かなりマジで戦力外だと思う。ここまで来て何だけど、お前一人のほうがはるかにマシなんじゃねーか…?」
ええー、と悲鳴を上げる少女の顔は、焦燥に歪んでいる。一大事なのだから仕方ないが、ルークの体調だって仕方ない。
足元がおぼつかず、べしゃり、とその場に受身も取れずに倒れ伏した。
「うわっ?!」
ぎょっとしたらしい少女が顔を覗き込んでくるのがわかるが、返事も出来ない。
(身体がばらばらになるみたいだ…)
何も考えられないほどの苦痛に引きずられ、ルークは意識を飛ばした。
身体が分解される苦痛と、再構成される苦痛は、どっちも苦痛だが質が違う。
バラエティに富んでてめでたいことだと胸中で毒づくが、苦痛には変わりない。
果たしてルークの目の前にいたのは、長髪の女軍人だった。アイスブルーの目を驚いたように瞠り、突然目の前に現れた彼を凝視している。
ルークはかつて聞いたその名を、何とか記憶の中から引っ張り出した。
「ティア…だっけ」
頭痛はいつのまにか治まっていた。辺りを見回す。見たこともない回廊が続いている。
周りに何人か、神託の盾兵が倒れているのは見なかったことにした。
「ここは…?」
「神託の盾騎士団本部よ」
ティアの答えに、ルークは目をむいた。
「はあ?! 何で俺、いきなりそんなとこに…」
「…それは私が聞きたいわ」
困惑の色濃いその声に、ルークも眉を寄せる。
(…まあ、手間が省けたと思えばいいのか?)
いきなり、どすん、と足元に衝撃を受けて、驚いて見下ろすと、見覚えのあるチーグルの子供がそこにいた。
「会いたかったですのー!!」
「ミュウ?! なんでここに」
よろめいた拍子に、ルークはふと、自分の左手に、見たことのない、特殊な形の剣が収まっている事に気付いた。そして右手には、同様にピジョン・ブラッドの宝珠を握っていた。
伝説にある、ローレライの剣と宝珠だ、と誰かが耳元で囁いた気がした。
ルークは宝珠を隠しに入れ、剣だけを握る。左手から伝わってくる不思議な感触に、何故か身体が安定してくるような気がした。
しかし、さらさらと右手から崩れていくような感覚も、同時に味わっている。時間制限があるんだ、とルークは唐突に、しかも不自然なほどあっさりと理解した。
不安定に空いた右手で、ミュウの持っているソーサラーリングを持ち上げる。
「いきなり飛びついてくるな、あぶないだろ」
視線を合わせてそう言えば、ミュウは、
「うう、ごめんなさいですの…。だってとっても嬉しかったんですの」
といってしょぼん、と耳を垂れさせた。途端にティアから鋭い視線が飛んでくる。
かといって視線を合わせようとすると、巧妙にふいと逸らされた。
「何なんだ、一体…」
訳がわからないことだらけだが、とりあえずわかっていることから整理することにした。
「ともかく、今の状況はどうなってるんだ?」
そう尋ねると、ティアはきゅっと唇を結ぶ。
「…敵かもしれない相手には、教えられないわね。レガート」
ルークはちょっと拍子抜けした。同時に少しむっとして、理性でそれを抑える。
ジェイドがするように、皮肉げに少し唇の端を上げると、ティアの表情に不快そうな色が広がる。
「なるほど、神託の盾騎士団も一枚岩じゃないってことか。…俺は導師守護役に頼まれてここまで来たんだがな」
導師守護役、という単語に、ティアは反応した。
「アニスに会ったの?」
「ああ。つーか、俺を迎えに来たのが多分そのアニス」
「多分?」
「名前を今はじめて知った」
ティアは、少し呆れたような顔をして、そう、と一言だけ返した。
疑念を隠しもしない彼女に、当然だけど、と肩をすくめる。
「まあ、俺の言うことが信じられないのはよくわかる。俺でも信じない」
「じゃあ何故そういうことを言うの?」
その一言で、彼女が今のルークの説明をまるっきり嘘だと思っていると気付いた。
「言っとくけど、今のは嘘じゃないぞ。多分ダアトからそう遠くないところに、アニスはいるはずだからな」
しかし、ルークのその言葉に、ティアはますます態度を硬化させた。
美人が怒ると怖い、と他人事のようにルークは思った。背中に汗をかきながら。
「じゃあどうして、あなたはアニスと一緒にいないの?」
「そりゃ俺が聞きたいっつの。何せ、あっちで倒れて意識失って、気付いたらこっちに居たんだからな」
はあ、と溜息をつく。話は平行線を辿っている。
ルークが途方にくれかけたとき、彼の右肩に器用によじ登ってきたミュウが、はいですの、と突然自己主張しだした。
「ご主人様からは確かにアニスさんの匂いがするですの! 結構新しい匂いですの」
先ほどからのミュウの行動に緩んでいたティアの顔が、その言葉を聞くにつれ、だんだん引き締まっていく。
「…それ、本当なの? ミュウ」
「はいですの! ミュウは嘘つかないですの!」
「血臭とかはしないかしら?」
「…おい」
ルークはぴくり、と口元を引きつらせた。しかし、ティアはいたって真面目だ。
「しないですの! あえて言うなら、全身から水のにおいがしますの」
「水…?」
ティアの疑念のまなざしが突き刺さる。そういえば心なしか服も湿ってますのー、と明るい声で付け足すミュウともどもに、ルークは非常な疲労感を覚え、がっくりと肩を落とした。
「アラミス湧水洞だよ。出口でアニスに会ったんだ」
「何故そんなところに行ったの?」
このままでは解放してもらえるまでにかなりかかりそうだ、と危機感を抱いたルークは、強引に話題を転換することにした。
「何でもいいだろ? いろいろ聞きたいこともあるだろうが、先のことを話させてくれ。時間がない」
「だからって、信用できない相手と一緒に行動するわけには行かないわ」
「なら俺一人でも行動するさ。言っとくけど俺は今本当に時間がない」
いいながら右腕を突きつけて袖を捲り上げると、ティアが息を呑んだ。
彼女の視線の先では、透けて向こう側が見通せる腕が、不安定に揺れている。
「…って訳だ。協力するにしろどうするにしろ、さっさと決めてくれ」
言いながら腕をしまう。左手で持った剣にそっと触れると、右手の不安定な感覚がやや和らいだ。
「…わかったわ、でも、後で必ず説明してもらう」
ルークはこくりと頷いた。
「ああ。で、どっちだ?」
「多分、あっちの奥の方よ」
言いながら歩き出したティアの後ろに続く。冷たい廊下を、なるべく目立たないように歩いていく。途中で出会った神託の盾兵は、大抵ルークの軍服を見るとあっさりと敬礼つきで通してくれた。
アッシュと勘違いされているのだと、擦れ違った兵士のひそひそ話で気づいて、思わず苦笑が漏れた。
(まあ、気持ち悪いほど似てるのは確かだけどな)
ティアは何も言わず、ルークも話しかけることはせずに、お互い無言のままで目指す場所を探した。
余計な体力を使わなくていいのはありがたいが、こうなってくると少し退屈だった。とはいえ、流石に六神将などの幹部クラスに見つかったらまずいので、やはり人目を避ける必要がある。
加えて、ルーク自身の身体のリミットも近づいてきていた。
(たぶん時間が来たら俺は消えて、またどっかのセフィロトか、大き目のフォンスロットからやりなおしだ。…厄介だな)
ルーク自身にとっても不可解なことだが、特に誰かに聞いたわけでもないのに、彼は自分の置かれている状態を冷静に把握していた。
まるであらかじめ答えを知っているような感覚でものを考えているのだ。
(気持ち悪い)
ルークの足は自然に進む。いつの間にかティアを追い越して、彼は奥へ奥へと進んでいた。
「ちょっと、どういうつもりなの」
小声で話しかけてくる彼女に、ルークは囁き返す。
「多分こっちで合ってる。…それより、あんたに頼みがある」
「…何かしら?」
アイスブルーの瞳が、不審げに細められる。整った顔立ちが、尚のこときつく見えた。
「ジェイドに会うまで俺の身体が持たなかったら、俺の代わりにあいつに説明しといて欲しいことがある」
「…聞くだけ聞いておくわ」
「頼む」
ティアは軽く溜息をついた。それを了承とみなして、ルークは話を続ける。
「俺の超振動は解放された。セントビナーが落ちそうだから何とかしろ。陛下は絶対ジェイドの生還を信じてる。それから、」
「まだあるの?」
「ああ。俺は音素が乖離しすぎて存在が希薄だから、死んだも同然なんだ。だから言い方は悪いが、遺言みたいなもんだよ」
「そのくらい、自分で言ってちょうだい」
ぴしゃりときつい口調で言われた。
遺言の伝言なんて冗談じゃないわ、と睨んでくる彼女を、軽く笑って流す。
「言えたら言うけどな。まあともかくこれが一番最重要なんだが、ローレライを地核から解放してプラネットストームを止めるから、それまでに止めても支障が出ない方法を考えろ、と」
「何…ですって?」
ルークは早足で歩きながら、ティアをちらりと見下ろした。承服できない、といわんばかりの青い瞳が、真っ直ぐにこちらを睨みつけている。
彼は先手を打つように、早口に告げた。
「悪いけどこれはローレライからの依頼だからな。懇願に近いか。ともかく、俺に拒否は出来ない」
「だからってそんな重要なこと、独断で決めていいはずがないわ!」
ティアの声がだんだん高くなる。声が大きい、とルークが注意すると、彼女はきゅっと唇を結んだ。
「人間にとっての倫理や都合は、人間じゃないやつには関係ないんだよ」
宥めるようにルークがそう言うと、存外棘のある言葉と視線が返ってきた。
「まるで自分が人間じゃないみたいな言い方するのね」
「俺は人間じゃないからな。レプリカだ」
あっさりと認めると、彼女は複雑な表情でルークの顔を見つめた。それからふい、と顔を逸らす。
ルークはため息混じりに、そしてやつあたりを込めて、少し嫌味っぽい口調で言った。
「あんた、それでよく軍人やってきたよな」
「…何が言いたいの?」
「そんな素直で苦労しないか?」
ティアは一瞬虚を衝かれたように、驚愕も露にルークを見上げた。それからすぐに前に向き直る。
端正なその顔は、苦笑めいたものに彩られていた。
「あなたが非常識なのよ。…どうにも調子が狂うわね」
さすが大佐の養子かしら、と笑う彼女に、今度はルークが苦笑を浮かべる。
「おぞましい事実を思い出させるなよ。俺は今、非常にジェイドに会いたくないんだ」
微妙な空気が二人の間に漂った。触れられそうで触れられなかった話題に差し掛かっているせいだ、とルークは思った。
勘の向かうとおりに行けば、もうすぐジェイドたちのいる部屋に着く。かすかな引力を感じて、気ばかりが急いている。
ティアが今このタイミングで、アクゼリュスの件について尋ねてこない事について、ルークはとても感謝した。
部屋が近い。ルークはいつしか駆け出していた。見張りの兵が何事かとこちらを見るが、彼らが声を上げる前に殴り倒す。
ぐん、と引きずられるような感覚と同時に、背後から聞き覚えのある歌声が響いて、廊下の奥の方の兵士が次々と倒れた。
「ちょっと、慌てないで」
「悪い。時間が近い」
ティアの譜歌のせいか、少しだけ乖離速度が増したのがわかった。身体が音素の流れに帰ろうとしている苦痛が、ルークの身体を苛んでいる。それでも剣に触れているせいか、先ほどよりは随分ましだった。
ルークは目当ての扉を見つけると、乱暴に開いた。とても狭い、物置のような部屋だった。
手前のベッドの上には、ジェイドが座っている。奥のベッドにはガイの姿も見えた。
ルークはジェイドの前まで足早に近づくと、袖口の隠しから宝珠を取り出して、手を出せ、と言った。らしくなく、妙に素直に差し出された掌の上にそれを落とし、告げる。
「これをアッシュに」
そうして身体の限界を迎え、ルークは全てを遮断するように目を閉じた。
to be continued...
2008/3/9 ティアとルーク