魔 女 の 福 音

コ ラ ー ル (君 は 僕 に 似 て い る)



 夜遅くに、ルークに与えられた部屋をノックするものがいた。
「どうぞ」
 返事をしながらドアを開けると、視界に入ってきたのは長い髪をした軍人で、ルークは少し面食らった。
「どうしたんだよ? 珍しいな」
「…眠れなくなったので」
 らしくない台詞に、ルークはさらに驚いて、まじまじと目の前の男の顔を見つめた。
「…まあ、中入れよ」
 こんなところで立ち話も何だし、とルークが男に背中を向けると、突然背後から抱きしめられる。
 彼は動転して、とりあえず男の名を呼んだ。
「じぇ…ジェイド?」
 ジェイドはルークの耳元で、小さく囁く。
「…あなたが悪いんです」
(は? …何が?)
 ルークは混乱した。混乱して、うまく思考が働かない。
 どきどきするのはそのせいだ、と何とか思い込んで、ルークはジェイドの腕をつかむ。
「ジェイド、ちょっと落ち着け」
 離れようともがくが、うまくいかない。ジェイドは抵抗されて、なおさらルークの身体をきつく抱いた。
 これはまずい。ルークはそう思って、声を発した。
「手を離せ、ジェイド!」
 しかし効果は無かった。ルークは驚いて、ジェイドの顔を見上げる。
 赤い瞳と視線がかち合って、逸らせなくなった。
「化け物対策に使用した譜業装置を使っていますから、あなたの声は聞こえません。…安心してください、読唇術は身につけていますから」
 ジェイドはあっさりとルークを開放すると、ドアの方に向かった。ジェイドの瞳から逃れ、溜めていた息を吐くと、がちゃり、と錠の落ちる音。
「…ジェイド?」
「これで邪魔は入りませんね」
 にっこり、ジェイドが微笑む。その笑顔に薄ら寒いものを感じて、ルークは一歩後ずさった。
「…お前、何考えてる」
「あなたのことを」
 即答されて、ルークは返答に窮した。何だこれは。何だこれは!
「なん、で…」
 ルークの問いに、ジェイドは薄笑いを浮かべたまま答える。
「考えたんです。…私は、ずっと考えていた」
 ジェイドは、ジェイドの胸に手を当てた。その表情は不思議に穏やかだ。
「結果だけ言いましょう」
 ルークは、突然、これを聞いてはいけない、と思った。これを聞いては後戻りできなくなる。
 しかし彼が耳を塞ぐ前に、ジェイドはその言葉を放ってしまっていた。
「私はおそらく、あなたを愛しています」
 ルークは呆然としながらその言葉を聞いていた。
(ジェイドが、おれを? 何だって?)
(ありえない)
「…嘘、だろ?」
 ジェイドはすうと赤い瞳を細めた。表情が無くなる。
「そうなら良かったんですが、生憎と本当のようですよ」
 まさか自分でも、自分より二十八も年下の、しかも男に惚れるとは思いませんでした、と淡々と返されて、ルークは言葉を失う。
「そして、私の観察が正しければ」
 ジェイドは一歩、ルークの方に踏み出した。ルークはその場に氷付けにされてしまったかのように動けない。
「…あなたも、私に、同じ気持ちを抱いています」
 ルークはしばらく口をあんぐりとあけて、それからきっとジェイドを睨んだ。
 思い切り顎に向けて拳を突き出してやると、ぱしりと軽く受け止められる。
 悔しくて言い捨てる。
「…お前のそういうとこが大嫌いだ!」
「おや。それはすみませんねえ」
 ちっともすみません、と思っていない口調で、ジェイドが返す。それにますます腹が立って、ルークは叫んだ。
「第一、自分のことなのに、おそらく、だのようだ、だのつけんなよ!」
「すみませんね。なにぶん初めてなもので」
「何が!」
「誰かを本気で、愛すると言うのが」
 ルークは固まった。そして思った。
(なんだ、おれの声なんて大したことない。全然大したことない)
(こいつの台詞の方が)

(…もっと、やばいじゃないか)

 ジェイドは真っ赤になって固まってしまったルークの扱いに困った。固まらせたのは自分という自覚はあるのだが、どうしていいかわからないのだ。
 とりあえず、手持ち無沙汰に赤い髪を梳いてみる。強情な癖毛だが、その割に柔らかい。
「…お前、ずりぃんだよ」
 ルークの呟きは、ジェイドには聞こえない。けれど何かを言ったということは察知して、その顔を無理矢理上向かせた。
 頬を染めて、潤んだ翠の瞳が、じっとジェイドの顔を見ていた。随分と悔しそうだ。
 ずるい、ともう一度小さく呟いた唇を、今度は見逃さずに、ジェイドはすかさず問い返した。
「何がです?」
「全部」
 即座に言い返され、ジェイドは眉を寄せた。
 ルークはジェイドの手を払いのけ、さらに続ける。
「いきなりキスしたり、こんなことしてみたり。…ジェイドがどうしたいのか、俺全然わかんねえよ」
 小さな子供が寒さに震えるように、ルークは俯いた。
「私はあなたを、…引き止めたい。それだけです」
 ルークが顔を上げる。限界まで見開かれた翠色の瞳が、ジェイドの無表情を映していた。
「…もっとフツーに出来ねーのかよ!」
 悔し紛れとばかりに、少年が噛み付けば。
「すみませんねえ。何せ、根暗マンサーですから」
(思いきりこのオッサン気にしてるじゃねーかどーすんだ陛下!)
 ルークの心中の絶叫は、やや現実逃避の色を帯びている。
「…それで、ルーク。返事は?」
 ジェイドの言葉に、ルークはきょとんとした。はあ、とため息をつかれても、わからないものは仕方ない。
「…返事?」
「だから、私はあなたを引き止めたいといったでしょう」
 まさか若年性健忘症ですか? 厭味にそういってみせるジェイドの瞳は、しかしどこか真剣だ。
 ルークは、かぶりを振った。
「俺はバチカルに帰るよ」
「…何故です」
「その耳の外したら教えてやる」
 ジェイドは渋々ながら、耳につけた音遮断装置を外す。それを見届けて、ルークはにっこりと笑った。
「俺は、ジェイドが好きだ。だから、お前の傍にいたい。そのためには、あっちにいるアッシュとかにきちんと説明しないと駄目だろ?」
「…これはまた、凶悪なプロポーズですね」
「な、何がプロポーズだ、何が!」
 真っ赤になるルークに、だってそうじゃないですか、とジェイドは言った。
「ご両親に紹介してくださるんでしょう?」
「んなっ…!」
 口をぱくぱくさせながら、ルークが何か反論の言葉を捜す。うまくいかなかったらしく、ぼそぼそと言い訳のように呟いた。
「…それに、もう一人のおれが止めた街も、元に戻さないといけないし!」
「おや、それはあなた一人でもできるのではないですか?」
 ルークは黙り込む。確かにその通りではある。
 元はといえば、自分が仲間達に敵の正体を知らせなかったせいで、引き起こされた事態なのだ。
 そのせいで命を落とした人もいる。それを思い出し、ルークは唇を噛んだ。
「…そうだな」
 暗くなってしまったルークの表情を見て、ジェイドは己の失敗を悟った。
「ルーク。あなた、また余計なこと考えていませんか」
 ルークはかぶりを振った。
「余計なことなんかじゃない」
「…別に私は、あなたにそんな顔をさせたいわけじゃない」
 ジェイドはルークの頬に触れた。
「私には、あなたが必要です。それでは足りませんか」
 ジェイドは、今度は余計な言葉もなしで、はっきりと断言した。ルークはそっと、ジェイドの手袋越しの手のひらに触れる。
「おれは人をいっぱい、すごくいっぱい死なせてる。それは一生償いきれないし、忘れるつもりもない」
 真っ直ぐに、ルークの瞳が、ジェイドを見据える。
「…それに正直、ジェイドだって、おれの傍にいて辛くない、とは言い切れないだろ。それでもいいのか」
 眼鏡の奥の赤い瞳が、ルークを見つめ返す。
「…私はこの二年、あなたのことばかり考えていました。あなたがいないのに、あなたのことばかり考えていたんです」
 己の罪を、その証を。直視できずにいた、長い年月を取り戻すように。
 償えない罪。赦しが与えられずとも。彼を見るたびに、その証を知らされようとも。
「…それでも、私にとって本当に辛いのは、ルーク、あなたがいなくなってしまうことだ」
 ルークの赤い頭が、ぼすん、とジェイドの身体にもたれかかる。そのまま、彼はジェイドの軍服の背に腕を伸ばした。
 抱きつく、と言うよりは、存在を確かめるように、その手は触れた。
「ルーク」
 名前を呼べば、くぐもった声で、返事が返ってきた。
「…ごめん、ジェイド。…おれはやっぱり、どうしようもなくジェイドの傍にいたいよ…」
 ジェイドは、ルークには聞こえないように、心の中で呟いた。
 謝らなければならないのは、私のほうだ。――その代わりに、囁く。
「そこは謝るところじゃありません」
 どうせなら、苦すぎる執着の言葉を。
「こういう時は、あなたも同じように、私に言ってくれればいい」
「…ジェイド」
 ジェイドはルークの髪を撫でた。
「…好きだ。好きだよ、ジェイド」
 好きだよ、好き、好きなんだ、とうわごとのように囁く子供に抱きつかれ、ジェイドは二人きりの部屋で立ち尽くす。
 軍服に包まれたその腕が子供の背を抱き返すまでには、そう長い時間はかからなかった。


 次の日、やや寝不足気味のルークと、対照的にすっきりした顔のジェイドが目にしたのは、暗く暗く俯くガイと、滅法機嫌の悪そうなピオニーと、少し切なげな表情のティアだった。
「…どうしたんだ、ガイ?」
 ガイはルークの姿を見ると、力なく笑ってみせた。
「…いや、何でもない」
 まるで抜け殻のようなガイをルークは心配したが、ピオニーがやめとけそれ自業自得だから、と横から口を挟む。
「どういうことですか?」
 ルークが首をかしげると、ピオニーはつまらなそうに答えた。
「自分から恋敵の背中を蹴り飛ばしといて、自己嫌悪してるんだよガイラルディアは。ったく、せっかくの俺の楽しみを取りやがって」
 ルークにはピオニーの言ったことの意味がわからなかった。それに対して、ジェイドは人差し指と中指で眼鏡を押し上げる。
「余計なことをルークに教えないでください、陛下」
「余計なものか。ルークは知っててもいいはずだろう」
「…今晩のメニューはブウサギの丸焼きですね。私が手ずから作ってさしあげましょう」
「遠慮しておく」
 ルークは、自分の頭の十センチ上で交わされる会話の意味が、相変わらずわからない。
 ふとがしりと肩をつかまれ、振り返るとなにやら暗いものをしょったガイが、それでも何とか微笑んでいた。
「ルーク。俺はお前がどこに行こうと、お前の親友兼使用人だからな。今度こそ、どこまでもついてくぞ」
「え、あ、ああ」
 ありがとう、というべきなのか、ルークは少し悩んだ。
「…ガイにはガイのいるべき場所があるだろ?」
「俺の居場所はお前の隣だ」
 即答されて、ルークは照れとすまない思いで、少し困ったような笑顔を浮かべる。
「駄目です。残念ながら、ルークの隣は私の居場所ですから」
 どこから聞いていたのか、ジェイドがガイの手を振り払う。ガイがにい、と人の悪い笑みを浮かべた。
「独占はずるいぜ旦那。なあ、ティア?」
 いきなり話を振られたティアは、しかしにっこりと微笑んだ。
「そうね。…ルークは、私の仲間でもあるのだから」
 ピオニーは疎外感を感じながら、苦笑する。目の前で苦い顔をしている親友に向けて。
「お前の周りは敵ばかりだな、ジェイド?」
「全くです」
 ため息混じりに、ジェイドは答えた。その様子はひどく人間臭くて、ピオニーは密かに笑う。
「大したものだな、ルーク」
「は? 何がですか?」
 ルークの頭には疑問符がついていたが、いやこっちの話、とピオニーは誤魔化した。
「じゃあ、次来るときまでに、お前の部屋を用意しといてやるよ」
「何で陛下が用意するんですか」
 ガイに突っ込まれ、皇帝陛下は口の端を吊り上げた。
「だってそのほうが楽しいだろう?」
「…あなたって人は」
 呆れたような視線を受けながら、まるで夏の陽のように、ピオニーは微笑んでみせる。
「さて、ルーク。結婚式はいつがいい?」

 引きつった笑顔のジェイドが、インディグネイションの詠唱から発動までの最短記録を更新したのは、そのきっかり五秒後のことだった。




2006/3/14 僕はきみに生かされてる
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