な く す ひ と の は な し


クリティカル・ミット



 それはどうしようもなく、けれど確かに気づくことがなかった自分が愚かなのだろう。
 一番彼に近かったはずの距離を俺は失った。それはある意味当たり前のことなのかもしれなかった。
 ずっとわかっていたはずだったのに、突きつけられた現実は、ずっとずっと重かった。

 気がついたのはいつだったのだろう。それはきっとずっと前からだ。
 きっと彼を見捨てた後にはもうその兆候はあった。例え迎えに行ってももうそれは手遅れだった。そういうことだ。
 彼は自分を二度と信じないだろう。うっすらわかっていた、わかっていたのだ!
 けれどどこかでまた取り戻せるだろうと思っていた。彼の笑顔と共に、取り戻せるだろうと。

 瘴気を中和したあとぐらいからだっただろうか。
 何てことない顔で笑うルーク、を、見ていた時に、その向こう側に居たティアと目が合ったときだった。
 いつも少し無愛想な彼女は、けれどそのときだけ、妙に悲しそうな顔で俺を見ていたように思った。
 小さなチーグルが、ルークに向かうときに、ほんの少し悲しそうな顔をすることにも、いつの間にか気がついた。
 極めつけは、あの大佐だった。
 彼は完璧すぎたのだった。
 ほんの少しの齟齬も許さないように、まるでその話題を自然に避けるように見せかけるように、会話を動かし続けた。
 それなのに時々、彼はルークに優しく微笑むのだ――まるで、恋人にするように!
 その行為自体は構わないと言ってよかった。腹は立つが、まだ奪い取れると思っていたのだ。それがただの甘さなら。

 その中にあるのが甘さだけであればよかった。誰かを本気で好きになったあの苦しさと甘さだけなら良かったのに。

 ルークはもとより自分がうそをつくのがうまくないというのを知っていたのだろう。その話題にはふれようともしなかった。
 そしてティアも。
 おかしいと、気がついてしまった。薄々感づいていたそれに、止めをさされた気がした。
 眩しげに世界を見つめる瞳に、いとおしげに空を見上げる仕草に、まるでやっと本当の世界に気がついたみたいな彼そのものに、俺は止めを刺されたのだ。
 何より残酷な現実で以って。

 そしてそれはとても致命的で、けれどもう取り戻せない距離の場所にあるのだと、俺は気がついた。



2006/3/4 ガイ→ルーク






エバースティング・ライ



 戻ってくると、彼は約束した。それはうそだと、やさしいうそだと、どこかでわかっていた。
 それでも信じていたかった。私に言ってくれたそのことばを、ただの気休めのうそに変えたくなどなかったから。

 ただずっと待ち続けている私はただのばかなのだろう。
 ばかだっていい、彼のことを待っていたい、彼が死んだなんて――認めたくはないのだ。
 空っぽの墓には用事なんかない。だってその中には彼の欠片もない。記憶も、ない。
 それならばあの場所には何の意味もないでしょう?

 だからいつまでだって待つ。
 彼のくれたたった一言のためだけに、私はいつまでだって待てる。

 だから、ルーク、

 どうかもう一度戻ってきて。



2006/3/4 ティア→ルーク






ローズ・オブ・



 罪悪感など。いまさら何の意味があろうか。
 あの子供はもう戻らないのだと、目の前に突きつけられた答えに、私は深く絶望した。

 決意の代償に切ってしまった赤橙の髪が揺れることはもうない。
 翡翠の瞳を潤ませる姿を見ることもない。
 夜の淡い月光の中で、眠ったふりで夢に怯える姿を見ることもない。
 やっとまっすぐに笑うようになった、その表情を目の前にすることも、もう永遠にないのだ。
 それはずっと昔(たったの二年、それがこれほどまで永い時のように思えるなど!)、私が彼に死んでくれと言ったとき、疾うに決めたはずの覚悟だった。

 彼は存在の全てを否定され、そして初めて全てを知った。
 一度は見捨てた子供。それが這い上がる様を見ていた。
 傲慢な態度が俯きがちで卑屈なそれに変わり、やがて何かを削ぎ落とした哀しい笑顔になるまで、自分はそれをただ見ていた。

 導師たる少年はかつて、微笑みながら言った。彼の本質は変わってなどいないと。
 けれどあの哀しい笑顔がその果てだというのなら、私はもう二度と何かを愛することは出来ないだろう。
 世界はやさしいものを残しはしない。ずっと前から知っていたことだというのに、どうして今更突きつけられたそれに、こんなに動揺するのだろうか。

 死ぬ間際になって初めて、彼は生きるということを知った。
 生と死の深遠の狭間で、それでも彼は天秤の皿を、世界のほうに傾けた。

 自分の生み出した罪の結晶はそのときはじめて生を享け、そして同時に死を知った。
 それはまた自分自身の生と死でもあった。

 それが今更、どうしてこんなにも哀しいのだろう。


 夜風に緋色の髪をなびかせ、花の中に一人の青年が立つ。
 その正体も知らず嬉々として駆け寄っていく若者たちを見ながら、私は永遠に失われた暁を想った。



2006/3/4 ジェイド→ルーク





この身に宿るはの傷跡



 自分の身体には数え切れないほどの傷がある。
 それは自分の潜り抜けて来た道の証であり、ある意味自分の存在の証であった。
 存在を、居場所をすりかえられてから、己に課されたその道を厭わしく思わなかったわけでもない。
 けれどそれは確かに自分という存在、そのものであった。

 そして今、自分の身体には数え切れないほどの傷がある。
 腹に背中に腕に、数えるのがばからしくなるほどの。
 けれどそれは自分が負った傷ではない。

 腕に負ったこの傷跡は、爪痕と称するのが正しいのだろう。
 人間の爪の形をしたそれが、この腕には無数についている。
 その跡を繋いでいけば、その大きさはこの手とほぼ一致している。

 つまりそういうことなのだ。
 これは自分の傷跡ではない。

 自分ではない、この身の中に居た誰か。

 自分は知っている。この傷がどうやって付けられたものか。
 どんな思いで、この傷が、この身に付けられたのか。

 絶望と、渇望と、希望と、そして満たされぬ想いと。
 償いきれぬ罪の意識と、救いを求めるあさましさと。

 何故戻ってきたのが自分なのだろう。
 何故この記憶を、持たされてしまったのだろう。

 何故、彼は戻らない。

 死んだはずの自分、生きていたはずの彼。
 皮肉にも再び存在はすりかえられた。

 …そう、すりかえられたのだ。
 これがあるべき場所であるはずがない。
 あるべき場所であっていいはずがない。
 この傷は、自分のものではない。自分が背負うべき傷ではない。
 自分の存在を証す、傷ではない。

 それなのに、何故。

 自分のものでない、確かに自分のものではなかったはずの身体に、自分がつけた初めての痕が残った。




2006/3/13 アッシュ
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