彼の友人とその恋人
不機嫌そうな、しかしどこかやわらかい声で、ライカが熱斗を呼ばわる。宥めるような笑顔で、熱斗が応える。そのまま二人は寄り添い、仲良くひとつの計器を覗き込む。
幸せそうなカップルの、何と言うこともない、他愛無いワンシーンだ。それは認めよう。
ただ、やっぱり、甘い雰囲気を撒き散らすならせめて、TPOとかなんとかそういうものを、できれば、是非! わきまえていただきたいものだ、と炎山は皮肉に思った。
場所は光研究室。熱斗の父であり、ニホンどころか世界有数の頭脳でもある光祐一郎博士のいるそこは、決してコイビト同士の甘ったるいオーラに犯されても良い場所ではない。だが、部屋の主であるところの当の光博士(これがまたややっこしい。今は息子の熱斗も光“博士”なのである)が、いつもにこにこと笑ってスルーなさっているので、部外者である炎山は、不躾に口を突っ込むわけにはいかない、といつも我慢している。常に嫌味の三つ四つ飛ばしているのは、大目に見てもらいたいところだ。
大体お前ら、二十歳超えて、いちいち自分の仕事場でいちゃつくんじゃない! と炎山は許されるなら声を大にして叫びたい。そうしないのは彼の忍耐と努力の賜物であり、光熱斗とライカはもっとそれに感謝するべきである、と彼は思っている。
もとシャーロ軍人のライカが何故光研究室で熱斗といちゃついているのか、それには様々紆余曲折があり、目の前で能天気そうに笑っている(少なくとも炎山にはそう見える)カップルにも、見た目にそぐわぬ大変な苦労がここに至るまでにあり、その一部には炎山も深く関わっており、つまるところこの光景を作り出している責任の一端は炎山自身にあるのだが、彼はそれを認めることに大変な苦痛と苦悩を要する。
「炎山、さんきゅな」
炎山の魂が抜けかけているその数分の間に、表面上はでれでれしながらも実はきちんと仕事をこなしていたらしい熱斗が、赤いPETを、見た目に似合わぬ丁寧さで差し出した。それを受け取り、中にいるナビの表情を確認し、異常がないのを念のため確かめて、炎山は頷く。
「いや。それで、望むデータは取れたのか」
「ああ。わるかったな、つきあわせて」
ほんとにな、といいたいところをぐっとこらえる。炎山は大人だ。
「いいさ。この借りはどこかで返してもらう」
「わかってるよ。忙しいところわざわざ来てもらって、ほんとに感謝してる」
国際ネットバトラーとして日夜事件解決に向けて奔走する生活を送る炎山が、ニホンの科学省内の光研究室に顔を出したのは、彼とは旧知の間柄である光熱斗に呼び出しを受けたからである。彼が現在研究している理論の裏づけとしてブルースと炎山のデータが欲しい、というのに二つ返事で頷いたのは、結局炎山自身が熱斗とライカの顔をひさしぶりに見たかった、という理由が半分くらいを占めていた。もっともその心に従って行動した現在の彼は、少し後悔しているのだが。
「研究の進み具合はどうだ?」
調子を尋ねれば、熱斗はまあまあかな、とわらって、ちらりとライカのほうを窺った。ライカもそれに気付き、優しげな微笑を浮かべる。昼間っから見たくもないものを見せられた炎山の胃の具合はあまりよろしくない。
熱斗の現在研究している理論に現実的な形を与える手段、つまり実証する方法を考えることに貢献したのは、小学生の頃に行った、ライカとの初めてのネットバトルであったという。そのあたりがちょっと炎山にとっては面白くないのだが(ちなみにこれは熱斗のライバルとしての自尊心の問題であって、別に他意はない)、彼の理論を聞くにつれ、考え方は変わった。
それは、言い出したのが熱斗でなければ、何を馬鹿なことを、で一蹴したかもしれない。だが、何よりもそれを体現してきた彼らであったからこそ、炎山は研究に協力する気になった。
心のつながりが力を与える。それを理論化することには、賛否両論あるだろう。それに、かつてサーチマンが数値化したものがはたしてそれなのか、熱斗にもいまだに確証はないという。何より熱斗とロックマンの関係は、普通のナビとオペレーターの関係とは根本的に異なる性質を持つ。
だから炎山とブルースのデータが必要なのだ、と乞われれば、元より断る気はなかったにせよ、悪い気はしない。それに計測の方法も、炎山は十分気に入った。
「では、俺はそろそろ行く」
「ええ? もっとゆっくりして行けばいいのに」
即座に上がる声は、アメロッパから直接やってきた自分の身体を気遣ってだと知っている。唇の端が上がるのは嬉しいせいだと認めることを、今の自分は躊躇わない。
「悪いが、仕事がたまっている。光がオレの部下になって代わりに済ませてくれるというなら、別に構わないが」
「遠慮します」
「お前ならやれる」
「断る」
割と本気だったが、にべもなく断られて、炎山は安堵した。ああはいったが、向いているとは、正直あまり思えない。とはいえ、ひとりでも優秀な人材が欲しいのも確かだったが。フ、と笑って、ライカに目を向けると、冷たい青と視線が合った。
「次は負けん」
それだけ言って、彼はまた計器に向かう。負けず嫌い、実に結構だ。そういうところは少し熱斗にも、そして自分にも、似ている。やはり元が、戦場に立つ人間だからだろう。どちらかというと自分の性は、ライバルよりむしろ、彼に近い。
熱斗は、そんなライカの子どもっぽい仕草に苦笑いして、炎山もまた笑う。当の本人の口元も、よく見れば緩んでいる。
少し前では、考えることも出来なかった光景が、今、ここにある。それでいいと思う。
二人の前途がどうであれ、平和で何よりだ。その幸せが、できるだけ長く続くことを願う程度には、この空気を、炎山は大事にしたいと思っている。
「…熱斗、ここなんだが」
「うん?」
友人というにはあまりに近すぎる距離。すぐに発散される、その胸焼けしそうな甘さ。
やはり、長居したい空間ではない。しみじみそう思いながら、無言のままうんざりした顔で、炎山は魔窟・光研究室を後にした。
2008/10/25
言い訳
ライ熱と炎山。他国の軍人と科学者って結構あぶない取り合わせ。そこがもえ。
4のサーチマンの計測した数値が理論のなんたら、という部分はわざわざ流星のネタまで引っ張り出して意地でもライ熱にしてやろうという涙ぐましい努力です(自分で言うな)