まぼろし・1
ロックマンが死んだのは二ヶ月前のことだ。
最初の一ヶ月は誰もいないPETを見るのもつらくて、それでも手放せなくて、夢を見るたびにあの日のことを思い出した。
ほんとうは今だってそうだ。だけど、オレは兄さんと約束した。ひとりでも、歩けるようになるって。
このPETにいつかは違うナビをいれなきゃいけない日が来るのはわかってる。オレは科学者になりたい。その夢を叶えるには。
だけど、今はまだ。今は、まだ。
そんな言い訳をしながら、オレは、海に行く。
ロックマンのいなくなった海の向こうへはもう行けないから、せめて最後に別れたところに少しでも近づきたくて。
もっとも、オレがここにこれるようになったのは、ロックマンがいなくなって一ヶ月くらいたってからだった。
みんなには言わないけど、やっぱり、ちょっと辛かった。寂しかった。今だって、こころに開いた穴に、冷たい風が吹きぬけるよう。
海の風はいつも少しべたべたしてて、潮の香りがまとわりつくらしくて、そんな日はママがちょっとだけ優しい。
オレがさびしがってるって言うの、ママにはすぐにわかっちゃうみたいだ。ママだって辛いのに、情けないよな、オレ。もう少しで6年生になるのに。
もう、ロックマンのことを思い出して、いきなり涙が出るってことはあんまりなくなった。でも寂しくなくなったんじゃない。慣れた、のかもしれない。
ただかなしい、ということに、慣れるということがあるんだったら。
ロックマンがいなくなった後で、インターネットをつかって、H.B.Dについて調べたことがある。
生まれつきの心臓の欠陥。激しい苦痛に身を苛まれ、やがては死に至る病気。完全に治る方法は、まだ、見つかってない。
オレと兄さんは一卵性双生児だった。だから、本当なら、同じ病気をもっていてもおかしくなかった。オレが無事だったのは、本当にただの偶然としか言いようがない。
って、言う人も、いるかもしれない。
だけどオレは何となく、兄さんが、オレをずっと守っていてくれて、オレの身代わりになってくれたような気がしてならない。
オレたちが、プロトに飲み込まれたときみたいに。
時々、オレは想像する。兄さんが生きていて、オレが死んでいた未来。オレがロックマンとして兄さんのナビになって、笑ったり泣いたりして、――兄さんの代わりに、いなくなってた世界。
今更どうしようもないことはわかってる。きっとオレがロックマンでも、同じ選択をしただろう。それだけは、わかる。
だってオレだって、どうしようもなく、兄さんの、…ロックマンのいる未来を、望んでいたんだから。
ビーチストリートからの帰り道、だいぶん暗くなって焦っているオレの横を、どっかでみたようなリムジンが走り抜けて行った。と、思ったら、数メートル前でそれは止まって、中から忘れようもない、上下で白黒きっちり色分けされた髪の男の子が出てきた。
「炎山…」
「光か。…大分遅いようだが」
炎山に会うのは随分久しぶりだった。それも当然のことで、炎山は忙しいオフィシャルネットバトラーだけど、オレは今は普通の小学生。ネットバトルもしないから、関わることって、まずない。
「ちょっとな」
「また海か?」
口調はきついけど、咎めるみたいな響きはない。オレがそうだ、とうなづくと、そうか、と炎山はつぶやいた。…また、ってことは、炎山はオレが時々ここに来てるのを知ってるってことか。オレは、炎山が知ってるってことを、知らなかった。
――それっきり、会話が途切れる。炎山、何か用事があったんだろうか。でも、それじゃなんで、わざわざオレを呼び止めたのに、何にも言わないんだろう。
正直に言ってすごく居心地悪い。炎山とこういう風にいっしょにいることって、今までほとんどなかったから。
「…何だよ」
ちょっと腰が引け気味なのは仕方ないと思う。炎山は、何でもない、といいながら、すいと何事もなかったかのように視線を逸らした。
「送っていこう。乗れ」
炎山って、ときどき、よくわからない。予想外すぎる展開に、呆気に取られたオレだけど、不機嫌そうな炎山に、はやくしろ、とせかされて、あわてて後部座席に乗り込んだ。っていうかなんでこんないっつもえらそうなんだこいつは。
炎山はオレの隣にどっかと座り込むと、出してくれ、と運転席に連絡を入れた。そのようすが、いかにも、お金持ちのお坊ちゃんって感じで、オレが感心していると、炎山はふと静かな青い瞳をオレに向けた。
「…それで、どうしたんだよ、炎山」
「何が」
「何が、って…いきなりこんなことするなんて、お前らしくないから、何か用があるのかと思って」
炎山は、何を言ってるんだ、と不思議そうな顔をして、それからすぐにむっとしたように眉を寄せる。
「…オレにだって気が向くときくらいあるさ」
「そういうもんか?」
「オレだって人間だからな」
わりとあっさりした対応をされて、逆にオレの方が困ってしまう。
戸惑うオレを見て、炎山はそのキレイな顔を意地悪そうに歪めて言った。
「人恋しそうな顔をしてたからな。放っておいてもいいかとは思ったが、うるさいのがとりえみたいなお前がそんな状態では、オレも調子が狂う」
「何だよ、それ」
やさしいのかやさしくないのか、やっぱり、炎山ってよくわからない。吊り上げられた口元はいっそ性格が悪そうとさえいえるのに、その目だけは優しく細められていて、オレは言うべきことばを見失う。
炎山はいつもそうだ。危ないときに助けてくれたかと思うと、返す刃でばっさり斬られる、そんな感じ。だけど、それなのに、ときどきすごく優しい気もするから、オレは最近、どう対応していいかわからなくなることがある。ロックマンがいなくなってからは特にそうだ。
絶対に傷口には触れたりしないし、踏み込まれたくないとこまで踏み込んでくる、ってこともない。だけど振り返ったら、何でかいつもそこにいる。そういうところがちょっとだけ、メイルに似てるな、って思うことがある。
黙って傍にいてくれる。パパもママも、メイルも、デカオもやいとも。今は遠くにいるまもるも、シュンも。オレはすごく恵まれてるな、って思うのに。
それでも寂しい、なんて思うのは、わがままなのかな。
「そういや、ブルースは?」
ふと思い出して、尋ねる。炎山はゆっくりと瞬きして、それから答えた。
「今は雑務の処理中で、ここにいない。…あいつがどうかしたのか?」
「いや、しばらく会ってないから元気かなって。相変わらず大変そうだな」
ふん、と炎山はうなずいた。アイスブルーが、また、オレを見つめる。
「…痩せたな、お前は」
「え?」
冷たい手が、ぺたり、と右頬に触れた。炎山にこんなふうに触られるのははじめてで、オレはただ戸惑うだけだ。
「あまり無理はしないほうがいいぜ」
「そんなのしてない」
「自覚がないのは重症だな」
炎山は大仰に溜息をついて見せた。ちょっとむかっときたけど、このくらいでいちいち腹を立ててたら、こいつには付き合えない。
せめてもの抗議のつもりで頬に触ってる手を振り払って、顔を逸らそうとしたら、その前に炎山の両手に顔を挟まれて、無理矢理首の向きを変えられる。すっごい乱暴で、しかもいたい。
「…何だよ」
「噛むなよ」
返事になってない、そう言い返そうとしたオレの目の前に、ふっと影が降りる。それが炎山の顔だ、と気が付いた次の瞬間、オレの口が何かやわらかいものにふさがれた。
口の中にするりと入り込んできた生あったかいのが炎山の舌だ、と理解して、オレは少なからずパニックに陥った。
何でオレ炎山にキスされてんだよ。というか炎山は一体どうしちゃったんだ。
頭の中が許容量オーバーでフリーズ寸前のオレの口に口をくっつけたまま、いい子だ、なんて、低い声で囁く。背中がぞくぞくする。びくり、と固まったオレに、炎山はようやく満足げに笑って、唇を離した。信じられない。
「おま…いったいなにすんだよ!」
ぐいと口を袖口で拭って文句を言ったけど、そのあいだにも、顔が熱くなるのが止められない。だけど炎山は涼しい顔をしてしれっと言った。
「知らないのか? キスをしたんだ」
「んなこたわかってるよ! オレが聞いたのは理由だよ理由!」
炎山は面倒くさそうな顔をしたが、オレはそれどころじゃない。
なんというかあんまりだ。こいつは一体何を考えてるんだ。
「物欲しそうな顔をしていたからか」
「してない!」
まるでふざけてるとしか思えない理由をのたまう炎山が、どこかでこの状況を楽しんでいるのもわかった。結局振り回されているのはオレひとりで、はっきり言ってすごくむかつく。
「そろそろ着くな」
「って、平然と話を逸らすな!」
「それじゃあな、光。今は、オレのことだけ考えていろ」
そういって、ドアを開ける炎山。目を白黒させているオレをさっさと車から追い出して、黒塗りのドアはばたんとしまった。
「また連絡する」
そんな台詞だけを残して、リムジンは走っていった。おいこら炎山、ちゃんと説明していけよな!
もうわけがわかんない。ずるずるとその場にしゃがみこむ。こんなときロックマンならなんていってくれただろうか。わからない。
どうしたらいいのかわからないよ、ロックマン。
2008/10/17 彩(ロク)熱前提炎山→熱斗
まぼろし・2
「…君は確か、光博士の息子さんか」
科学省にいったかえり、たまたま、エレベーターの中で炎山のパパと一緒になった。オレはちょっとびっくりしたけど、こんにちは、と挨拶をすると、ああ、こんにちは、と思ったより普通に返事がかえってきた。
エレベーターには二人きりで、炎山のパパは向かって右側の奥、オレはその反対側のドアよりの壁のところに立っている。正直に言って、かなり緊張する。だって炎山のパパって、なんか見るからに厳しそうな人なんだ。だからいきなり、炎山のパパが口を開いたとき、思わずびくっとしてしまった。
「先日はどうもありがとう。お礼を言い損ねていた」
オレはちょっと呆気に取られて、炎山のパパが何をいっているのか、わかってあわててかぶりを振る。
「いや…オレたちは、当然のことをしただけですから」
オレはというと、その先日、のことを、すっかり忘れていた。だって何ヶ月も前のことだ。ロックマンがまだいた頃のことだから。
ロックマンのことを思い出して、またすこし、憂鬱になる。もう、いいかげん、割り切らないといけない。そういう時期に来ているんだ。
炎山のパパはオレの顔と、腕時計を見比べた。次の予定は、とつぶやく声に、機械の声が、三時からまた会議です、と答える。たぶん、炎山のパパのネットナビだ。
この社会で生きていくうえではPETもネットナビも必需品だ。…それはわかってるんだけど。
「…ふむ。時間はまだあるし、君、少し付き合わないか」
「へ?」
オレは驚いて、炎山のパパを見上げた。厳しそうな顔のひとで、中身もやっぱりすごく厳しい、って、いろんな人から聞いてる。予想外のお誘いに、ちょっとどう反応していいのかわからない。
「嫌なら別に構わないが」
「あ、いえ、そうじゃないです。ちょっとびっくりしただけで」
なら決まりだ、そういった炎山のパパの強引さは、どことなく炎山に通じるものがある。親子なんだなあ、と感心する。
付き合わないか、といわれて連れて行かれた先は、科学省の休憩ブースだった。
炎山のパパはブラックコーヒー、オレはジュースをおごってもらって、少し距離を開けて隣に座る。何というか緊張する。
「炎山とは親しいのかね」
オレはいきなり答えに詰まった。親しいかといわれると首をかしげるけど、仲悪いかと言われるとそうでもない。何というか…
「親しい、っていうのとはちょっと違うと思うけど、炎山はライバルで友達です」
ほう、と頷いた炎山のパパは、こころなしか、ちょっと面白そうな顔をしていた。炎山と炎山のパパって仲いいのか悪いのか、いまいち外からははかれない。でも、確実に言えることは、炎山自身はパパのことが大好きだということだ。炎山はパパのことになると、見てるこっちがびっくりするくらい、感情を表に出すから。
「炎山があれほどまでに同年代のこどものことを気にするのは、はじめてだったからな。そうか、ライバルで友達か」
炎山のパパの言う、あれほど、ってちょっと想像つかない。何かすごい含みがあるのがわかる。炎山、お前一体、お前のパパになんていってオレを説明したんだ。
「…あ、そうだ。あの、炎山に、決着つけられる日がもうすぐ来そうだ、って言っておいてくれませんか」
オレの言葉に、炎山のパパはすこし不思議そうな顔をした。
「決着? …ということは、新しいナビが来るのか」
「…はい。今日、パパに言われて」
N-1の決着をつけないといけない、というのもある。それに、初めてのネットバトルの相手は、やっぱり、炎山がいいな、とも思ってる。まあ、新しいナビになれるまでは、しばらくまたウイルスバスティングして練習しないといけないけど。
炎山のパパは、オレをしばらく観察するみたいにじっと見つめたあと、こう言った。
「別に構わないが…何故直接自分で言わないのか、尋ねても?」
もっともな質問に、オレはちょっとだけ困った。うん、まあ、友達だって言うのに連絡先知らないのは、おかしい、って普通思うよな。オレはだから、咄嗟に思いついた言い訳を、出来るだけそれらしく、炎山のパパに語った。
「あー…ほんとはそうしたいんですけど、炎山の連絡先がわかんないんです。ロックマンがいなくなったときに、データの一部がちょっと吹っ飛んじゃって」
ちょっとだけほんとだけど、ちょっとだけ嘘だ。飛んだデータはアドレスデータじゃない。でも、これは許される嘘だと思う。だって家族はやっぱり、できるだけ話があったほうがいい。
「炎山はオレの連絡先知ってるはずだから、そっちは大丈夫だと思うんですけど」
これは本当。炎山のパパは、そうか、と言って、コーヒーを一口飲んだ。その仕草はどこか炎山に似ている。
「伝えておこう」
「ありがとうございます」
炎山のパパは自分の時計を確かめて、ではそろそろ失礼するよ、と言った。
「付き合ってくれてありがとう」
「いえ、こちらこそ、おごってもらっちゃって、ありがとうございます」
オレが頭を下げると、一瞬、大きくて重みのある何かが、頭を撫でていった。今の、もしかして、炎山のパパの手?
びっくりして顔を上げたオレの目の前で、炎山のパパはすこし、口元を緩めていた。
「では、また、機会があれば」
「あ、ありがとうございます」
炎山のパパはそういって立ち去りかけて、ドアの手前でふと足を止めた。
「…どうかしましたか?」
「これからも炎山の友達でいてやってくれ」
口早に言われたそれに、え、とオレが聞き返す前に、炎山のパパはさっさとドアを開けて出て行ってしまった。
しばらくオレはぽかんとしていたけど、だんだん笑いがこみ上げてくる。なんだ。心配しなくても、よかったんだ。
このおせっかい、というタイトルのメールが炎山から届いたのは、その数日後のことだった。その間に、オレの周りには、ある劇的な変化が訪れていた。っていうのはつまり、ロックマンが帰ってきたことなんだけど。
首をかしげるロックマンに、オレは気にしなくていいから、とわらって、それからメールの返事を頼む。どうせ必要なのは一言だけだ。
やけに軽いテキストデータに、ロックマンは不思議そうな顔をした。
「いいんだよ。それであいつはわかるから」
わかるはずだ。これは確信。
炎山にキスをされた日、オレはびっくりするくらい、炎山のことばかりを考えた。何度も何度もあの光景が甦って、正直眠れなかったけど、しばらくロックマンのことを思い出すのも難しいくらいだった。さすがにそれが目的だって気付いたときは、炎山ってすごいなと思った。だってそんな理由で、男にキスできるかっていうと、オレは正直ちょっと無理だ。
つまりそのくらい心配かけていたんだなあと思い知って、ついでに炎山は友情にアツいやつなんだなとちょっと認識を変えた。いや、いいやつだとは思ってたよ。もしあいつがいなかったら、ロックマンが自分の命をかけて助けてくれたのを、完璧に無駄にしてたかもしれなかったし。
オレは炎山に感謝してる。ほんとうに。
だから、どきどきしてたのはオレだけかよ、とか、まるで掌の上にのせられてころがされたみたいで悔しい、だなんて、絶対いってやるもんか。
2008/10/27 秀石さん+熱斗
言い訳
ゲーム設定なのに炎熱。とりあえず炎山様、からまわり。
3のシナリオだいぶ忘れてるなー…でもプロトと再戦はしたくないなー(笑)。四ヶ月かけてのさよならってすっごく切なくて苦しいです。
しかし、「〜だぜ」口調の炎山様ってすごく書きにくいな…。アニメのイメージのせいかな。